アグリフードセンター

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北方生物圏フィールド科学センター
生物生産研究農場

 平成23年に作られた新しい実習施設で、食肉・食肉製品、乳・乳製品および農産物の加工を行うことができます。従来は加工理論・原理と技術の伝授を目的とした施設であり、最新の食品衛生手法と合致していませんでした。本施設は、「食の安全・安心」に関する教育・研究を実施できる食の総合教育研究センター的な位置づけを目指し、 現状に則した食品製造学を教育・実践することであります。 “食”の本質を理解して科学すること、実践的な教育・研究を行うことにより、 科学的根拠に基づいて「食の安全性」を総合的に考えられる食品企業人の育成が可能となります。また、広く市民にも公開することにより、一般消費者・小中学生・高校生向けの生涯教育・市民教育の場を目指します。さらには、これまでと同様に、「永遠の幸」「春楡の饗」などの北大認定製品の開発援助などの、 広報活動への積極的な参加も目指しています。

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北大における畜産製造の歴史

”高尚な農学校は農場を付設していなければならない”

これはクラークの学校設立構想の一環であり、札幌農学校開設間もない1876(明治9)年9月に 北海道開拓使に設置を申し入れて約100 haを譲り受け、「農黌(校)園」を開設した。クラークは札幌農黌第一年報に発表した論文の中に、「最も急速に進歩させなければならないものは、風土に適した家畜を飼育する有畜農業経営の確立」と書くほど、北海道農業における畜産の重要性を唱え、開園後最初に建てられた建物の1つが模範家畜房(モデルバーン)である。また、経営規模の拡大と経営経済的合理化のための牛馬の動物力利用も挙げているが、同時に畜産物の利用も意識していたに違いない。

クラークの考えを受け継いだブルックスのもとで、農黌園では穀類や蔬菜類の他に、飼料作物や畜産物の生産にかなりの比重が置かれていた。1882(明治15)年2月には建坪わずか4坪であるが、「薫肉製造所」(すなわち、食肉製品製造所)が今の環境健康科学研究教育センターの位置付近に建てられていたと記録に残っている(右図)。「製乳所」(すなわち、乳製品製造所)も農黌園内にあったと言われている。事実、1876年から1880年の5年間の収穫物・製造物の記録によると、牛乳224石8斗7升9合3勺(40トン強)、バター127斤2分5厘(80 kg弱)、ソーセージ51斤(30 kg)、ベーコン443斤半(270 kg弱)などと書かれており、札幌農学校開学とほぼ同時期から乳肉を原料とした畜産加工品が作られ、お雇い外国人教師や、洋食主体であった寄宿舎の生徒向けの食材として使われていたのであろう。これらの畜産の経営を実践する農場としての役割を担った第2農場は、現在の薬学部や保健科学院、情報基盤センター、地球環境科学研究院、テニスコートが位置する場所一帯にあった。

旧 製乳所(モデルバーンに現存)

1907(明治40)年、札幌農学校は東北帝国大学農科大学に昇格することとなり、校舎が現在の敷地に移動することになった。これを受けて第2農場は縮小を余儀なくされ、1910(明治43)年に現在の位置(北18条付近)に移動した。「製乳所」も1911(明治44)年に新築され(モデルバーン内に現存するレンガ造りの建物、右写真)、チーズやバターなどの乳製品が作られていた。

北大における畜産物利用に関する教育としては、札幌農学校の開校24年後の1900(明治33)年に橋本左五郎先生によって「畜産学」が開講され、「乳および乳製品に関する講義」が行われていた。その後、東北帝国大学農科大学において畜産学科が設置され、畜産第一講座が誕生して橋本左五郎先生が担当教授となられ、日本初の「畜産製造学」を開講された。食肉製品製造所については、研究されていた先生がいらっしゃらなかったため、新しく建設されなかったと思われる。一方、畜産学教室は現在の図書館付近に1909(明治42)年11月に新営された。畜産学教育の発展に伴い、実験実習教育施設としての製造施設が望まれていたため、1924(大正13)年10月に「乳製品製造実験室」が畜産学教室の近く(現 文学部付近)に建設され、学生向けの乳製品製造実験が行われていた。

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旧 肉製品製造実験室

乳および乳製品を中心とした畜産製造学がしばらく続いたが、1925(大正14)年に宮脇富先生は乳製品製造学と肉製品製造学を含めた広汎な畜産製造学を開講した。その後、1937(昭和12)年に肉製品研究室が設置され、肉製品製造学実験のために「肉製品製造実験室」が同年12月に完成した(農学部南側に現存、右図)。肉製品研究室を担当された橋本吉雄先生は、食肉産業・食肉業界に対しても多大な影響力を有し、その指導力は今日の我が国の食肉産業隆盛の礎となったといわれている。

戦後、日本人は乳肉などの畜産物の摂取が飛躍的に増加し、牛乳を飲む習慣も根付きだした。北海道大学でも学内で生産した牛乳を瓶詰め牛乳(市乳)(右写真)として 1957(昭和32)年から売払を開始した。当時はほとんど手作業であったため、1日にわずか500本程度であった。その後、図書館新築(1958(昭和 33)年着工)と農学部の集約に伴い、畜産学教室は移動を余儀なくされ、乳製品製造実験室も同じ頃に現クラーク会館の北西部(現、空き地)にあった教養学部の古い建物に一時移転した。

旧 畜産製造実験実習施設

旧 畜産製造実験実習施設

1960年代後半から農場の旧建物が全面的に改築され、第2農場の牛舎・管理棟とともに、畜産製造実験室と肉製品製造実験室が北19条西10丁目に移築され、「乳肉製品加工所」(旧 畜産製造実験実習施設) となった。1968(昭和43)年に乳製品加工部分が完成し、市乳の全自動の連続製造ラインが導入され、市乳の製造&学内売払は拡大した。2年遅れて 1970(昭和45年)年に肉製品加工部分が完成した。だが、機械の老朽化と人員削減により、市乳の売払は1987(昭和62)年にやむなく休止した。旧 畜産製造実験実習施設は、40年にわたり近代畜産製造学の教育研究遂行ならびに産業発展に貢献し、大学認定ブランド製品である「永遠の幸」「春楡の饗(えるむのもてなし)」の開発などの広報活動にも積極的に参加してきた。このように本学における畜産製造はおよそ130年前から行われており、北海道大学の畜産製造の歴史は、北海道ひいては我が国の畜産製造の歴史ともいえる。

参考資料
北大百年史 通説, 1982, 北海道大学

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