インバース異種核相関(HSQC, HMQC, HMBC)


インバース測定

前項で述べたプロトン以外の核(異種核、多核、他核)のFIDを取得する異種核相関法は簡単な方法であるが、観測核の磁気回転比が低いため低感度である。 測定の繰り返し時間をT、プロトンの縦緩和時間をT1I、異種核の縦緩和時間をT1Sとすると、異種核のワンパルス実験の感度は

inverse sensitivity 1
INEPTやDEPTでプロトンからの磁化を移動させた場合は
inverse sensitivity 2
異種核からの磁化をプロトンへ移動させてプロトンで観測する場合、分極移動の部分は感度的に不利だが、プロトンで観測する利点が勝る。
inverse sensitivity 3
さらに、実験をプロトンパルスからはじめてプロトンで観測する(インバース測定)ようにすれば、さらに感度がます。
inverse sensitivity 4
異種核が13Cの場合それぞれの感度比は1:4:8:30、15Nの場合1:10:30:300となり、この方法がいかに有利であるかがわかる。

HSQC

INEPTを基本にしてインバース異種核相関法としたのがHSQCである。スペクトルは縦軸がカーボン、横軸がプロトンである。下図の6までは最も基本的なINEPTシーケンスと同じである。INEPT同様Δは1/41JCHである。5から6への二つのπ/2パルスでプロトンからカーボンへ分極移動させる。6から9までのt1はCH COSY同様異種核カップリングはリフォーカスさせ(F1方向のデカップリング)るが、ケミカルシフト展開させるのはカーボンであるので、t1の中央にはプロトンにπパルスをかける。9から10の二つのπ/2パルスで磁化をふたたびプロトン側に戻し、アンチフェイズになっているシグナルをリフォーカスするために2から5と同じ形(INEPT)をくりかえし、プロトンで取り込む。リフォーカスするのはINEPTと逆でプロトン側にみえている異種核カップリングであり、すべてダブレットであるので待ち時間は変化させる必要はない。とりこみの間、カーボンをデカップリングすることも可能である。

HSQC spectrum

もしt1の中央にプロトンのπパルスがなく、取り込みの間もデカップリングしなければ、スペクトルは下図左のように縦方向にも横方向にもダブレットとなる。上記のパルスシーケンスで測定すれば下図真中のスペクトルのように横方向のみダブレットとなる。取り込みの間にデカップリングすれば右のようにシングレットとなる。

HSQC spectrum

BIRD

HSQCでは、異種核とのカップリングを検出しており、そのカップリングのないプロトン由来のシグナルは位相回しによって消す必要がある。しかし、13Cや15Nなど天然存在比の低い各種の場合、消すべきシグナルのほうがはるかに強いため、位相回しによってきれいに消すことは困難である。

HSQC spectrum

このため、異種核とカップリングしていないプロトンとしているプロトンとを区別するBIRDパルスシーケンスが考案された。

BIRD sequence

τは1/21JCHである。スピンエコーの項を思い出して、この間に異種核とカップリングしているプロトンとしていないプロトンの挙動を考えてみよう。ケミカルシフトがリフォーカスするのはスピンエコーの項で見たとおりであるからカップリングについてのみ検討する。カップリングしているプロトンはすでに見たとおり、τ=1/21JCHのあいだに互いに180度開き、プロトンおよびカーボンのπxパルスによりx軸について180度回転するとともに進行方向が変わり、τのあいだにふぃたたびy軸上に戻る。プロトンのπパルスは、τ=1/21JCHからはずれたJ値を持つシグナルでも5の時点でy軸上に戻ってくるのに必要である。カップリングしていないプロトンはτの間Jカップリングによる展開はしない。プロトンおよびカーボンのπxパルスにより-y軸上に乗り、そのまま5の時点を迎える。最後のπ/2-xパルスにより、カップリングしているシグナルはz、していないシグナルは-z軸上に乗る。これにより異種核カップリングの有無によりプロトンを区別できたことになる。

BIRD

このまま少し時間を置くと-zを向いているシグナルはだんだん縦緩和してきて強度が弱くなり強度ゼロを経て正のシグナルとなってくる。この強度ゼロとなる時間待って(BD : Bird delay)から先に述べたINEPT実験をはじめる(RDはとばして最初のパルスから)と、位相回しによって消すべきシグナル強度が弱くなっているのでスペクトルがきれいであるし、レシーバーゲイン(入力感度)をあげることができる。

BIRD delay

COSYでのべたように位相回しで不要なシグナルを消去する変わりにグラジエントパルスを使うことができる。HSQCでも上述の12Cに直接結合したシグナルを消したり、二次元スペクトルを構成したりするために位相回しがおこなわれているが、これらをグラジエントパルスによって行うこともできる。これによりBIRDパルスを使用しなくてもきれいなスペクトルが測定でき、また必要最低積算回数も少なくて済む。

HMQC

INEPTに対してDEPTがあったように、HSQCに対してHMQCと言う方法がある。

HMQC sequence

HSQCに比べてパルスの個数が少なく、またΔ1は1/21JCHであり、プロトンシグナルに異種核カップリングのアンチフェイズを生じさせる。4から7までのt1はDEPTにもあったプロトン−カーボン間の多量子コヒーレンス状態になってはいるがHSQC同様カーボンのケミカルシフトが展開する。8から9まではリフォーカスであり、取り込み時にデカップリングすることが可能である。

出来上がるスペクトルは必要な情報に関して言えばHSQCと同じであり、グラジエントパルスが使えないときはBIRDパルスとBDを始めに入れたほうが良い事、グラジエントパルスを使う方法もあることなども同じである。

HMBC

2-3結合を介した遠隔の異種核相関のインバース法で広く用いられているのはHMBCである。

HMBC sequence

Δ2は1/2LRJCHであり、上図のシーケンスから2-4を除くとリフォーカスしないHMQCを遠隔カップリングに最適化した形となっている。実際2-4は相関スペクトルには関係のない部分で、これは直接結合するシグナルを弱めるために入れられた Low pass J filterである。(Δ1で最適化したのより小さいJカップリングだけを通過させるフィルター)。LRJCHが8Hzと大きめに設定してもΔ2は60msと長めになる。リフォーカスするとすればさらに同じ位の待ち時間をt1の後ろに入れる必要があり、全体の長さが増し緩和による感度低下を招く恐れがあるので、通常はリフォーカスせず、従ってデカップリングもせず、スペクトルを絶対値表示する。リフォーカス、およびデカップリングをするシーケンスもあり状況によっては有効であり、たとえば線幅に近いくらいの小さなj値を持つシグナルはアンチフェイズでは打ち消し合いのため強度が弱くなってしまうがリフォーカスすることによってみえるようになる。デカップリングしない場合、直接結合しているプロトン-カーボンの相関シグナル(LPJFで弱めてはいるが)は大きく分裂して現われており容易に区別できるが、これがたまたま他のプロトンのケミカルシフト位置にあたった場合には注意する必要がある。

測定上の着目点

HSQCとHMQCの違いは、t1の間前者が一量子コヒーレンス状態であり後者が多量子コヒーレンス状態であるということ、つまりHSQCではプロトンは±y軸上にありHMQCではxy平面にある。その結果、HMQCではt1の間に、JHH展開が起こり、これがF1軸方向に表れる。相関ピークが縦方向JHHに分裂すると言うことであるが、通常の分解能では見えないことが多い。たとえばトランスのオレフィン水素同士のカップリングはJHH=16Hzであるが、これは500MHzの装置(13Cは125MHz)では0.13ppm程度でありこれが分離して観測されることは多くはないだろう。しかし、たとえば、12, 8, 8, 2 Hzのddddではピークの幅が30Hzになりこれはピークの縦軸方向の線幅になる。縦方向測定範囲が狭かったりデータ数を増やしたりできる場合などでそれ以上分解能を高くしたとしても、縦方向の線幅が、HMQCではプロトンの分裂している幅以下にはならないということである。プロトンシグナルが複雑に分裂していて、しかもカーボンのケミカルシフトが近接しているような化合物ではHMQCではこれらを分離できない可能性もある。

グラジエントパルスを使う不要シグナル消去(コヒーレンス選択)は位相回しによって行うのに比べて理論的に感度が1/√2となるが、スペクトルがきれいになる恩恵のほうが大きいことが多い。HSQC、HMQCは高感度な測定であるためグラジエントパルスを用いるコヒーレンス選択による感度低下は殆ど気にしなくて良い。概ね、一晩積算しなければシグナルが得られないような場合にはグラジエントを用いない測定を用いたほうが良いかもしれない。

t1の間HSQCは一量子コヒーレンス状態でありHMQCは多量子コヒーレンス状態であるので、HMQCでは横緩和が起こる。低分子では横緩和は長くその影響は無視できるが、高分子など横緩和が短いサンプルでは感度低下がみられる。

HMBCで観測しているプロトンは13Cに直接結合しているプロトンではないのでBIRDパルスは挿入できない。測定に関係しない(3結合以内に13Cがない)プロトンシグナルは位相回しのみによって消しているため、特に強いシングレットでは縦方向にノイズが走る(T1ノイズ)。この消去にはグラジエントパルスが非常に有効である。以前は短時間で測定できるほどの濃度がありながらT1ノイズの消去のためにのみ長時間の測定を余儀なくされていたが、グラジエントにより短時間できれいなスペクトルが測定できるようになった。量が少ない場合(HMQC同様概ね、一晩積算しなければシグナルが得られないような場合)にはグラジエントを用いない測定を用いたほうが良いかもしれない。

HMBCはHMQC同様t1の間前者が多量子コヒーレンス状態であるためJHH展開が起こり、これがF1軸方向に表れ縦方向の線幅が広くなる。HMQC同様縦方向の分解能を上げたときにこれが妨げとなることがあり、この点を改良したct-HMBC法がある。ctはConstant timeを意味し、COLOCのようにt1を固定の展開時間に内包して縦方向のJHH展開を一定とし2Dスペクトル上に表れないようにしている。通常のHMBC法より若干感度が低下するがケミカルシフトの近いカーボンの帰属などに有効である。

HSQCには、HMQCには使われていないカーボンの180度パルスが含まれている。このため、後述のオフレゾナンス効果によりスペクトルのカーボン軸上の両端でHMQCに比べて感度が悪く感じられることがあるが、カーボンの180度パルスをすべてコンポジットパルスに置き換えると改善される。


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