農業土木学とは

農業土木とは何か?簡単に述べると土地を拓き,水を調え,稔りを確保し,地域を興す営為です。日本では鉄器の登場によって,灌漑施設の整備が容易となり,稲作が各地に展開することとなりました。すなわち,農業土木という行為は,遥か昔から存在していました。また,日本で最初の公益性のある土木工事とは農業土木そのものであったわけです。  このような農業土木の歴史が,現在の国土の基盤,稔り豊かな肥沃をかたちづくり,そこに暮らす人びとの絶え間ない営為によって農村景観が維持されてきました。 では,農業土木が農業土木学として体系化されたのはいつなのか?日本における農業土木学のはじまりは北大の前身である札幌農学校(1876年開校)の教育体系にみられ,それが土木工学(現在の工学部)と農業物理学(現在の生物環境工学科)へとつながっています。

一方,現在の農業土木学を学問的に体系化したのは駒場農学校(現在の東京大学農学部)であり,水田農業にかかわる耕地整理や土地改良などの講義が行われたことから(狭義の)農業土木学のはじまりがみられます。

土地改良_1

農業土木学とは,もともと土木工学を応用して,灌漑排水や開拓,圃場整備などの農業生産の社会基盤となる水と土に関する問題を扱う学問,すなわち農地および労働の生産性を高めるための土木工学的手法(狭義の農業土木)を対象としていましたが,今日では農業の生産性向上と農村地域の生活環境の整備,さらには自然との調和や環境に配慮して合理的に地域資源を利用・管理するための学問(広義の農業土木)となっています。

(2016.4 山本)

————————————————————————————————————————————-

農業土木学研究室の前身である土地改良学について・・・

「土地改良」はふるい言葉である。由緒来歴はつまびらかではないが、昭和24年(1949)の「土地改良法」制定を契機に「土地(つまり農地)」の「改良」は加速され、現在に至った。法律に名前が冠されているだけではない。その法律のもとで無数の『「土地改良」事業』が計画、施行され、できあがった施設の多くは『「土地改良」区』(いまでは水土里ネットともいう)が管理している。土地改良は、いってみれば土地を拓き、水を調え、稔りを確保し、地域を興す営為である。地域が潤えば、すなわち国が栄え、他と争うこともなくなる。しかし、土地改良を行うことは言葉で言うほど簡単なことではない。なんと言っても人間社会における大がかりな事業である。言葉の真の意味で「試行錯誤」がくりかえされ、おおきな果実を得た反面、苦い教訓を残したこともあったであろう。いずれにしろ千年余の土地改良の歴史は、営々とした国土の彫琢に他ならず、我々の眼前にひろがる沃野は土地改良の結果として今ここに拡がっている。この間に流された血と汗がいかに厖大なものであったか。史書をひもといても、光の当たった歴史の陰に横たわるその全貌をみることはできない。

わが国の近代、熊澤蕃山、二宮尊徳、安藤昌益、野中兼山など、きら星のごとく「土地改良」家が輩出し、経国済民の道筋を提示しつづけた。それが明治維新をはさむ近代から現代への移行を容易ならしめた要因とされている。しかし、国民が腹一杯メシを食えるようになったのは、太平洋戦争が終わってしばらくたった頃のことで、有史以来のことなのだ。いまでこそ飽食の時代などと言われるが、こんなことは「邯鄲之夢」かもしれない。われわれは祖先がやった土地改良の恩恵を享受して安穏な生活を送っているが、先人の血と汗が今の市民生活を支えていることに思いを馳せるものはどれほどいるだろう。そんな土地を放り出して、札束で外から食料を買いあさり、世界に貧富の格差を押しひろげている。そのうち、しっぺ返しがやってくるに違いない。「備えあれば憂いなし」の謂いは、単純だが真っ当である。それだけに、現状には戦慄さえ覚える。

その時点で状況がかわる食料生産と消費、環境、平和、などとの関係を、より良いものにしていくために何ができるか。先学、内村鑑三の「後世への最大遺物」には、生涯を通じての高尚なる生き方を「最大」としつつ、その前段では地を拓き水を調える事業の大きな意義を説いている。これこそ「土地改良」のことに他ならない。時代は変っても、本質をなす「大志」の崇高さはいささかも色あせていない。社会は、土地改良に生涯を捧げる人間を欲して止まない。

土地改良_2

意に反する仕官の道を峻拒し、自らの志に殉じた陶淵明は、「帰リナンイザ、田園マサニ蕪レナントス。ナンゾ帰ラザル。」と高唱した。『帰去来ノ辞』冒頭の詩句はあまりに有名で、人口に膾炙され陳腐でさえあるが、今一度、かみしめてみる価値は大きいように思われる。「土地改良」の意義をともによく考えてみようではないか。

長澤 徹明  2004年6月(1996-2012.3教授)