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第4章 自然選択と行動の進化
4・1 適応進化はなぜ起こるか:自然選択
この本をここまで読み進んだ読者は、情報の複製と複製ミスが存在する系ならば進化は必ず起きること、生物もそのような系だからこそ進化が起きたこと、そして、生物進化の2大メカニズムは自然選択と遺伝的浮動であり、適応進化では自然選択が主要なメカニズムと考えられていることを理解していただけたと思う。ここからの数章では、生物にみられる様々な行動や形質がどのように解釈できるかを検討することとし、この章では行動の進化がどのようにして起こったのかという問題にスポットを当てるようにしよう。
確認のため、もう一度、ダーウィンの考えた適応進化のメカニズムについて思い出すことにする。ある種の生物の集団中には様々な個体がいる。このような個体の持つ形質の様々な変異のうち、遺伝によって子孫に伝わるものだけが進化の対象になる。さて、ある形質に存在する様々な遺伝的変異には、その環境のもとで、個体の生存に有利なものと不利なものがあるはずだ。生存に有利な形質の個体は成体になるまで生き延びる確率が高く、次の世代に子孫を残す確率も高くなる。従って次の世代では、生存に有利な形質を持つ個体の割合が増えることになる。こうして世代を繰り返すうちに、集団中のほとんどが生存に有利な形質を持つ個体で占められるようになる。何らかのの理由により、そのなかに再び、形質の変異が生じる(ダーウィンの時代には突然変異などの遺伝的変異の原因は分かっていなかった)。その変異体の間にもう一度同じことが起きて、さらに生存に有利な形質を持つ個体が増えてゆく。様々な形質についてこの過程は同時に進行するから、生き残ってきた個体を見ると、生息環境に実によくあった形質を持っている(=適応している)ように見えることになる。
これが適応進化をもたらすと考えられている今現在唯一のメカニズムであり、存在する変異のうち、生存に有利なものだけが環境によって選びとられていくように見えることから「自然選択」と呼ばれている。また、個体の間には常に生き残りやすさに関する競争(生存競争)が行われていると考えているわけだ。この「生存競争」の概念は大きく誤解されていることがあるが、その点はあとで述べることにする。現代の進化生態学では、ある個体が将来の世代に残す子孫の数(正確には遺伝子のコピー数)を「適応度」と呼んでいるので、結局、自然選択の存在下では個体の適応度を高くするような形質が進化する、と言い換えることもできるだろう。また、ある個体の適応度を決めている、行動、形態などの形質を「戦略」という言葉で呼んでいる。もちろん、その個体の子孫に、遺伝によって伝わるものだけが「戦略」として考えることができる。
これから、いろいろな行動の適応進化を見ていくわけだが、その前に、自然選択に基づく適応進化に対する非常に大きな誤解を解いておく必要がある。それは、自然選択の単位はなにか、という問題である。読者も聞いたことがあると思うが、ある生物の行動などを解釈するとき、「種の存続のために進化した」ということがよくある。本当によくこういういわれ方をするのであたりまえのように受け入れている方もあるかもしれない。事実、今でもマスコミなどでは平気でこのようにいわれている。しかし、これは全くの誤りである。「種のために進化した」といった場合、個体の行動は種集団全体の増殖率を最大化するようになっているはずである。なぜなら、自然選択の単位が種であるなら、自然選択は、もっとも増殖率の優れた種を選択するはずだからである。ところが、明らかにこれに反するような例が多数見つかっている。典型的な例を一つだけあげると、インドにハヌマンラングールという猿がいる。この猿はオス1頭とメス数頭からなる群を作って繁殖している。群を率いるオスと群を持ってないあぶれオスの間には時折激しい闘争があり、あぶれオスが勝った場合はオスの交代が起こる。問題はこのときで、オスの交代が起こったときに、もし群に小さな子どもがいると、新しいオスはそれらの子どもをすべて殺してしまう。子どもがいなくなるとメスは再び発情し、新しいオスと交尾してその子どもを生むのである。この行動は「種のために」という観点から見るといかにも異様だ。集団全体の増殖率を最大化するなら子どもを殺す必要はなく、そのまま育てた方がいいからだ。しかし、個体の残す子孫数(=遺伝子のコピー数)を最大化する、という観点から見ればまことに納得のいく行動である。新しく群れに参入したオスにとっては、以前のオスの子はなんの血のつながりもないので育っても子孫を残したことにはならない。そのような子どもは排除して、群のメスが早く自分の子どもを生んでくれるような状態にした方がよいことになる。この例は、ハヌマンラングールのオスが、自分の子どもの数、または、子どもに伝わる自分の遺伝子のコピー数を最大化しようとしていることを示している。ここではっきりさせておくが、集団の増殖率を下げても個体の適応度をあげるような行動は、ハヌマンラングール以外にもたくさん発見さえている。が、個体の適応度を下げてまで集団の増殖率を高めるような行動はいまだに一つも発見されていない。結局、自然選択が働く単位は個体の形質、またはその形質をもたらす個体の遺伝子、であって、決して種ではないのである。
ダーウィン自身が、自然選択は個体に働くとはっきり述べているのにも関わらず、なぜ「種のために」といった考え方がこんなにも広まったのかはよくわからない。しかし、ほんの30年ほど前までは行動を研究する生物学者ですら平気でそのように考えていたし、現在でも進化生物学以外の生物学の研究者ではそう思いこんでいる人も多数存在するのだ。「種のために」という考え方はよほど人間の好みに合う何かを持っているらしい。しかし、もう読者はそうは思わないだろう。これからは、「種のために進化した」という言葉を聞いたときは、それを言った人間には正しい進化の知識がないものと判断していただきたい。
適応進化の話に戻ろう。重要なことは、このような「自然選択による適応進化」が、実際の生物進化の上で起きたのかどうかということである。自然選択が実際に適応進化をもたらしていると証明できなければ、いかに自然選択が適応進化をよく説明できるからといって、ただの机上の空論にすぎない。では、生物のどのような性質を調べれば自然選択による進化をうまく検出することができるだろうか。自然選択が存在すれば、有利なものは残り、不利なものは消えていくと考えられる。ある形質が有利なのか不利なのかは、はある目的(たとえば、生き残りやすさ)に関して有利か不利かということであり、必然的にその形質はなんらかの機能を持っていることになる。ということは、自然選択による進化は機能を持った形質についてしか起こらないわけだ。ちょっと考えればすぐわかるが、なんの機能もない形質はどんなに強い自然選択が存在してもそれに反応した進化をしない。なぜなら、その形質がどんな状態にあっても自然選択に対して有利でも不利でもないから、特定の状態が選択されて数を増やすことはないからである。こういう形質は「中立な形質」と呼ばれ、その進化は遺伝的浮動によって説明されることはすでに第2章でみてきた。では生物にとって機能を持っていて研究しやすい形質とはなんだろうか。その代表格は「行動」と「形」である。
行動とは「ある機能を持った、動物の一連の動き」のことである。ということは、動物の「行動」は、その「形」と同様、外界に対して動物が直接機能的にコンタクトする要素である。したがって、行動は形と共に、もっとも自然選択にかかりやすく、生物の適応をよく表している形質である、ということになる。結局、行動や形がどのようなメカニズムによって進化したのかを解明できれば、生物の適応進化の主要なメカニズムを解明したことになる。事実、行動に関する適応進化学的研究は、この25年ほどの間に動物を材料としてめざましく発展し、行動生態学と呼ばれる現代生態学の中の非常に大きな1分野となっているが、それはこのような論理的な裏付けがあってのことだったのだ。では、これからいくつかの例をあげて、行動や形の進化に自然選択が働いているかどうかを見ていくことにしよう。
4・2 自然選択の存在とフィンチの嘴の進化
現在では、自然選択が存在し、その力によって野外生物の形質に適応的な進化が起きる実例はいくつも報告されているが、ここに紹介するガラパゴスフィンチの例ほど美しいデータはそうはない。ガラパゴスフィンチは、ダーウィンが自然選択説を思いつくきっかけとなったガラパゴス諸島に生息する小型の鳥で、木や草の実をおもな食料にしている。ガラパゴス諸島のダフネ島でフィンチ類の研究を行っていたアメリカの研究グループは、島にいる1500羽あまりのガラパゴスフィンチについて、個体ごとに体の各部分のサイズなどを測定すると共に、食料となる島の植物の実の結実状況に関しても年毎にデータを取っていた。ガラパゴスフィンチのなかには、嘴の太さに関してかなりの変異が見られ、嘴の細い個体は柔らかい草の実を、嘴の太い個体は堅い木の実を主に食べていた。ある年、草がほとんど実をつけることができないほどの大干ばつがおこり、島のガラパゴスフィンチの85%もの個体が死ぬ、ということが起きた。研究グループが、生き残った個体と死んだ個体の形質を比較したところ、生き残った個体の嘴は死んだ個体の嘴よりも明らかに太かった。これは、干ばつにより、草がほとんど結実しなかったため、わずかに残った堅い木の実を食べられる嘴の太い個体が生存に有利になったからである。まさに、自然環境がふるいの役目を果たし、集団中に存在する変異のうち、嘴が太い、という特定の形質を選択したのだ。さらに、この干ばつで生き残ったガラパゴスフィンチの子孫の嘴の太さは、干ばつ以前と比べて明らかに太くなっていた。嘴の太さは親子間で遺伝することが証明されているので、この例は明らかに、個体間の遺伝的変異間に自然選択が働いた結果、嘴が太くなる進化が起こったことを示している。
ダーウィンが自然選択説を発表して以来、繰り返し浴びせられた批判がいくつかある。そのほとんどは誤解に基づくものだが、もっとも初歩的な誤解は「生存競争」に関するもので、言い分はこうだ、「この世界を見よ!動物たちは互いに争うことなどほとんどなく平和に過ごしている。いったいどこに生存競争などあるというのだ」。これが間抜けな誤解であることはすぐにわかる。私とあなたがケーキを食べることにしよう。でも1個しかない。2人は争わずに半分ずつ食べたとする。2人の間には競争はなかったのだろうか?いや、あったのだ。2人は身長体重などあらゆる点で違っている。当然、1日生きるのに必要なエネルギー量も違う。従って、ケーキを正確に半分ずつにしたとしても、必要なエネルギー量が満たされる割合は異なるわけで、どちらかがより得をしていることになる。2人の間に争いはなかったが、競争はあったのだ。ガラパゴスフィンチの例でも鳥たちは直接争ってはいない、が、結果的に餌のとれなかった嘴の細い個体が死に、生存競争の勝敗は決した。ダーウィン進化論における「生存競争」とは、このような性質の競争である。もう一つの古典的な批判は「自然選択による進化は非常にゆっくりと起こるので観察したり、検証したりすることは不可能である」というものだが、これが事実でないことはガラパゴスフィンチの例がはっきり示している。非常に強い自然選択が急に働いたような場合は、進化ははっきり観測できるような速度で起こるのだ。このようないくつかの批判に答える上でも、ガラパゴスフィンチの例は、非常に見事で美しいデータであることがご理解いただけただろうか。さて、自然選択による適応進化が実在することをご承知いただいた上で、様々な行動の進化についてみていくことにしよう。
4・3 適応しているかどうかをどう調べるか:最適化
動物の様々な行動は、その生息環境にうまくあっているように「みえる」。しかし、その行動がどれほど環境に適しているのかを調べるにはどうしたらいいだろうか?本当に適しているかどうかは、こういう状態であれば適しているといえる、という比較の対象がなければ調べようがない。逆に、比較になる基準を出すことができれば本当に適応しているのかどうか評価することができるわけだ。そのような基準を出すための方法が「最適モデル」とよばれる考え方だ。自然選択の原理から予測されることは「ある環境に対してもっとも効率のいい(=適応度を高める)個体が生き残る」といことである。いいかえれば、生物はある環境の状態に対して最適な反応をする(=最適化されている)はずだ、ということになる。そこで、生物のある行動について、特定の条件についての最適な反応を思考実験により予測してやり、予測された理論値と実際の反応を比較することで本当に適応しているかどうかを判定しようという研究が数多く行われてきた。ここでは、そのような最適化モデルを使った予測値の求め方を例をあげてやさしく説明し、実際の生物の行動が予測とあっているかどうかを調べた研究をいくつか紹介することにする。
4・3・1 どの餌を食べるべきか?:最適メニュー選択
ひどく単純なケースを考えてみよう。虫を食べる小鳥がいて、餌場には大きな虫と小さな虫の2種類がいるものとする。小鳥はどちらを食べるべきだろうか?この問題に答えるためには、まず、小鳥が最適化しなければならないもの(=適応度の指標)を決めておかなければならない。小鳥は餌を探しながら、餌が見つかれば食べる、という行動をとる。餌を食べればエネルギーが獲得できるが、その餌をとるためには時間がかかるのだから、小鳥が最適化すべきなのは単に総獲得エネルギー量ではなく、時間あたりに獲得できるエネルギー量であることがわかるだろう。つまり、小鳥にとっては、時間あたりの絵エネルギー獲得量を最大化するような行動がもっとも適応度を高める最適な行動である、ということになる。
最大化されるべき量がわかったところで最初の問題に戻ろう。小鳥は大小どちらの虫を食べるべきだろうか?大きな虫を食べればより多くのエネルギーを得ることができるのだから大きな虫だけを食べるべきだろうか?確かに大きな虫がうんとたくさんいればそうだろう。だが、大きな虫が非常に少なかったら大きな虫だけを探し続ける小鳥は飢えて死んでしまうはずだ。このことから予想されるように、大きな虫を食べるべきかどうかは、大きな虫がどれだけいるかにかかっていることになる。従って、大きな虫と小さな虫のそれぞれの数、つまりは小鳥がそれぞれの虫に出会う頻度、が最適行動の予測モデルに含まれていなければならないはずだ。さて、考えなければならない条件は虫の多さ、すなわち獲得できるエネルギー量だけだろうか?小鳥が最大化すべき量は時間あたりの獲得エネルギー量なのだから、当然かかる時間も考えなければならない。では、小鳥が餌を食べるのに必要な時間は餌を探す時間だけだろうか?そうではない。探しだした餌を食べる時間も考えなければいけないことはすぐわかるだろう。結局、小鳥の行動を予測するには、大きな虫と小さな虫のそれぞれに出会う頻度、それぞれの餌に含まれるエネルギー量、餌を探す時間、餌を食べるのに必要な時間、の4つの条件を含んだモデルを考えなければならないことになる。これらを含んだモデルをBox 4.1 に示した。数式がでてくるだけで眠くなる方も多いだろうが(私もその一人である)、Box 4.1 の内容は中学生の数学しか使っていないので、なんとかがんばって読み解いてしていただきたい。
さて、このモデルから予測される小鳥の行動は次の3つになる。
1)大きな虫と出会う頻度がある程度以上大きいなら大きな虫だけを食べるべきである。
2)小鳥は大きな虫の数が増えていくと、ある時点から突然大きな虫だけを食べるようになる。
3)小鳥が大きな虫を食べるかどうかを決めるのは、大きな虫の数のみに関係しており、小さな虫はいくらいてもその意志決定になんの関係もない。
これが、小鳥がどちらの虫を食べるべきか、という問題に対する最適と考えられる行動の予測である。あとは、餌の条件を変えたときの小鳥の行動を調べて予測と比較してやればいい。もし予測通りの行動をとっていれば小鳥の行動は最適化されており、環境に適応していると考えられることになる。
だいぶ回り道をしたがやっと本当の生物に登場してもらう番がきた。上で述べたモデルの予測と実際の小鳥の行動を比較する実験を行った人がいる。シジュウカラという小鳥を鳥かごの中にいれ、止まり木の前に小さなベルトコンベアーをつけ、その大部分を覆いでおおって、コンベアーの上を移動する物体がほんの短い時間だけシジュウカラの目にふれるようにした。そしてコンベアーにミールワームという虫をのせてコンベアーを動かしてやり、止まり木にとまったシジュウカラの前にミールワームがほんの短い時間(実際には0.5秒)だけ姿をあらわすような装置を作った。こうしておいてミールワームを大小2通りの大きさに切り、それを様々な比率でコンベアーの上に乗せて動かしてやり、鳥がどちらの餌をどのような割合で食べるかを調べたのである。この装置では、鳥は大小どちらかの餌を食べることを選ばされる。もちろん、餌が目の前を通過する時間は非常に短いので、鳥がどちらかの餌をついばんだ場合、もう一方の餌を食べることはできない仕組みになっている。
この実験装置を使うことにより、モデルに含まれる4つの項目をすべて測定することができる。実際の実験では、大小2つの虫と出会う頻度はコンベアーの上に乗せる大小のミールワームの数で決定された。大小の餌を食べることで獲得できるエネルギー量は、小さなミールワームを大きなものの2分の1の大きさに切ることにより、含まれるエネルギー量の比も正確に操作した。餌を探す時間はミールワームが目の前を通過する時間、餌を食べる時間は大きなミールワームと小さなミールワームそれぞれを食べるのにかかった時間として正確に測定される。モデルに含まれる項目が数値として測定できれば、鳥が小さな餌を食べずに大きな餌のみを食べるようになる限界値も推定できる。後は、モデルの予測と実際のシジュウカラの行動が一致するかどうかを調べればいいだけである。
様々なシジュウカラの個体を用いて繰り返し実験が行われたが、図4・1にはそのうちの一例が示してある。実線で示されているのがモデルから予測される鳥の行動で、点線が実験に使われたシジュウカラが実際に示した行動である。シジュウカラはコンベアーを流れる大きな虫の頻度が上がっていくと、それまで小さな虫を食べていたのが、急に、ほとんど大きな虫だけを食べるように行動を変化させた。この変化パターンそのものは、モデルの予測するパターンとはよく一致している。が、シジュウカラの行動は、モデルが予測するように一足飛びにすべて大きな虫を食べるようにはならず、変化はもっとゆっくりと起こった。結果として、実際の鳥の行動は、モデルの予測1)に関しては当てはまったが、予測2)については必ずしも一致しなかった、といえよう。ちなみに、ここにはデータを示さないが、モデルの予測3)については、シジュウカラは予測通りの行動を示したことをつけ加えておこう。
鳥は瞬時には行動を変化させなかった、という点で、モデルの予測と実際の行動は一致しなかった。では、鳥の行動は最適化されていないのだろうか?そう結論する前に、モデルの仮定が正しいのかどうかをもう一度吟味するのが筋だ。もう一度Box 4.1 をみてみよう。モデルからは確かに、大きな虫の頻度がある点を超えると、鳥は大きな虫だけを食べた方が時間あたりのエネルギー獲得量を高くできることがわかる。しかし、このモデルには先に議論しなかったもう一つの仮定が、暗黙のうちにおかれていることにお気づきだろうか?それは、鳥が虫の頻度の変化を関知する能力に関するものだ。モデルで鳥が瞬時に行動を切り替えるという結果となるのは、Box 4.1 の(7)式、および(8)式で、不等号で示される関係が成立した瞬間に、鳥にとってどちらの虫を食べたかによる利益の大きさが変わり、行動の切り替えが起こることになるからだ。つまり、鳥は虫の頻度が変化した瞬間にそれを関知できる、と仮定されていることになる。当然、この仮定は現実的ではない。鳥はコンベアーの上を流れてくる虫を「観察する」あるいは「ついばんでみる」ことでしか、大小の虫の頻度変化を関知することはできないのだから、当然、頻度変化がおこった時点から「少し遅れて」それを知ることになる。実験で鳥の行動切り替えが、モデルの予測よりもゆっくりと起こったのはこれが原因だと考えられる。結局、実験で示された鳥の行動は、鳥が持つ能力の範囲内で「最適化」されていた、と解釈できる。もちろん、本当に鳥の関知能力が問題なのかを確かめたければ、頻度変化の関知のタイムラグを含んだモデルを考えて、その結果と鳥の行動が一致するかどうか確かめればいい。
このような、最適化モデルによって動物の行動を調べる研究は、20年ほど前から盛んに行われるようになってきた。あげようと思えばいくつでも例をあげることができるが、次節では、今では古典的となったもう一つのモデルとその適用例を説明しよう。
4・3・2 どれだけ一つの場所にとどまるべきか:最適パッチ利用
花畑のなかにミツバチの巣箱がおいてある。ハチは次々と巣から出ていき花から花へと飛び回っている。もちろん、ハチはただ遊んでいるわけではなく、花の中にある花蜜や花粉を集めているわけだ。では、ハチは一つの花にどれくらいの間とどまって蜜を吸い続けるべきなのだろうか?この節では、この種の疑問に答えるためのモデルと実際の生物への適用例を紹介する。ここで取り扱うモデルは、動物がバラバラに存在している利用価値のある資源を訪問し、それを利用する場合なら、どのような例にでも適用することができる使用範囲の広いモデルだ。行動生態学では、そのようにバラバラに存在する資源を「パッチ」と呼ぶ。手芸のパッチワークを思い出していただければイメージが浮かぶと思うが、利用する資源が、ほかの資源とはっきり分けられた形で存在しているからだ。
さて、動物は居場所からパッチへ行って資源を利用するわけだが、パッチにある資源の量は利用される時間と共にどのように変化していくだろうか。当然、パッチの大きさは有限だから利用できる資源量も有限である。従って、パッチから得られる資源量は、時間と共に増加し、パッチにある資源を全部消費してしまうとそれ以上はいくらそこにいても増えなくなるはずだ。これをグラフとして表すと図4・2のようになる。図4・2には2つのグラフが示してあるが、4・2aは利用できる資源量が時間あたり一定の速度で増加し、その速度が資源がなくなるまで変わらない場合を示しており、4・2bは資源を利用できる速度が時間と共にだんだん遅くなる場合を示してある。このような、パッチ滞在時間と得られる資源量の関係を「利得関数」といっている。実際には、パッチ滞在時間と資源獲得量の関係はほとんどの場合が4・2bのような減速増加タイプであると考えられる。ミツバチが花粉を集める例で考えてみると、最初、花のおしべには多量の花粉があるので、おしべを1回こすって獲得できる花粉量も多いが、だんだんおしべの花粉は少なくなるので同じ作業回数でも集まる量は減っていくと考えられるからだ。もちろん、実際の生物の最適パッチ滞在時間を推定するためには、個々のケースについて、この利得関数の形を実際に測定したり、実験的に決めてやったりする必要がある。
前に説明した最適餌選択と同じことだが、動物が最大化すべきなのは総資源獲得量ではなく、かかった時間あたりの資源獲得量であるから、最適化モデルには、居場所からパッチへ到達するまでの時間も含まれていなければならない。これをいれたモデルを図4・3に示す。原点Oが動物がパッチに到達した瞬間で、左側の点Aから原点Oまでの時間が居場所からパッチまでの移動にかかった時間である。動物はパッチに到達してから資源利用を始めるので、利得関数は原点Oからたちあがるように書いてある。さて、このような状況の時、パッチを利用する動物にとって、かかった総時間(移動時間+パッチ滞在時間)あたりの資源獲得量がもっとも大きくなるようなパッチ滞在時間はどのように求められるだろうか。総時間あたりの資源獲得量は、点Aから利得関数へ向かって引いた直線の傾きそのものだから、いうまでもなく、直線が利得関数と接するようになる時間(T)までパッチに滞在すれば、かかった総時間あたりの資源獲得量を最大化できるはずだ。つまり、最適パッチ滞在時間は時間OT として求められる。
このモデルからは、もう1つ重要な予測ができる。パッチまでの移動時間が変わるときには同時にパッチに滞在すべき時間も変わるということである。このことは図4・4を見ればよくわかる。移動時間が変わるということは、利得関数に向かって引かれる直線の基点が変わるということであり、図4・3から、移動時間が長ければ長いほど、最適パッチ滞在時間が長くなり、獲得資源量も多くなるはずであることがわかる。では、このモデルを使って動物のパッチに関するこれらの予測を検証した例を示すことにしよう。
最初の例は、牛の糞に集まるフンバエの交尾時間だ。たかがハエとあなどってはいけない。この研究は行動生態学の古典として、今も燦然と輝きを放っている例なのだ。フンバエは牛の糞にたかる小さなハエで、オスとメスの交尾はメスが糞をなめている間にその上で行われる。オスバエはメスバエを探し、発見すれば交尾する。この場合、オスから見て、糞の上に散在するメスが利用価値のあるパッチということになる。では、オスにとっての利得とはなんだろうか?別にオスはメスを食べたりするわけではないので、この場合の利得は、メスと交尾をして精子を渡すことによって、メスが生む卵のうち自分の精子で受精されるものの割合、ということになる。交尾時間とそのオスによる卵の受精率の利得関数は実験的に測定されていて、図4・5中に示したような形であることがわかっている。また、1匹のオスが、あるメスと交尾しおわってから次のメスを探して発見するまでの平均時間(=パッチまでの到達時間)も測定されている。この2つのデータから、最適パッチ滞在時間(=交尾時間)を推定したのが図4・5である。図中に矢印で示してあるように、実際に観察された交尾の平均時間は、モデルから推測された最適交尾時間と非常によく一致した。この結果は、オスバエが交尾時間あたりの受精率を最大化するように行動していることを示すと解釈できる。
もうひとつの例は巣箱の雛に餌を運んでくるホシムクドリのもので、移動時間が変化するときの資源獲得量の変化に関するものだ。こちらでは利得関数の形は示さないが、モデルからの予測値は示す。図4・6がモデルの予測(実線)と鳥の実際の行動(点)をグラフ化したものだが、モデルの予測通り、鳥は、パッチまでの往復時間がのびるとともに運ぶ餌量を増やすようになった。この例も、パッチ利用に関して、動物の行動が最適化されていることを示しているといえよう。
4・4 最適化に対する反論
このような、行動の最適化の例は、あげようと思えばまだまだあげることができる。それらの多くの例は、自然選択が行動の進化を押し進めてきたことを示す証拠として取り扱われているが、動物の行動が最適化されているかどうかについてはもちろん異論もある。ここではいくつかの典型的な反論を紹介し、それの是非について論じてみよう。
もっとも単純な反論は、「論理的に考えて、生物が採用している方法よりもっと適当な方法があるのにそれが実現されていないのはおかしい」というものだ。この反論が正しくないのはすぐに理解できる。適応進化は、手持ちの可能性のうちでもっとも適当なものが残っていく、というかたちでおこるわけだから、いくらよりよい方法があったとしても、それが元々手持ちの可能性に含まれていなければ、決して実現することはないのである。極端な例を出せば、人間をはじめとする陸上脊椎動物は4本の手足を持っている。これは元々陸上にあがった祖先動物がこういう形質を持っていたからだが、手足が6本あった方が絶対的に有利な環境があったとしても、決して手足が6本になることはなく、手足4本という選択肢のうちで最適化が起こるだけだ。こういうことを、「制約」がある、と呼んでいる。一言でいえば、生物の適応進化はその生物がもつ制約のうえでの最適化の結果ということができるだろう。であるから、遠く離れた同じような場所で、似たような生物が似たような環境に適応している場合、それぞれの生物はもちろんそれぞれの環境に対して最適化されているが、その2種を同じ場所に住まわせたときはどちらかの競争能力の方が上であることが多い。このような例は、別の場所から生物が侵入してきて、元々いた生物との間で競争がおこった場合に頻繁に見られることで、日本でも、ニホンタンポポがセイヨウタンポポとの競争に敗れて姿を消しつつある例や、コウベモグラが箱根の山を越えて東に侵入した結果、アズマモグラの分布がより東北へ後退している例などがあげられる。このような例は、生物がある環境に最適化しているからといって、それが存在しうる最高の結果ではなく、あくまで制約の存在下での最適化が起こっているにすぎないことを示しているといえるだろう。
もう一つの反論は、「モデルの予測と当てはまらない場合、モデルが間違っていると考えてしまい、当てはまるようなモデルを考え出すまでモデルを作り続け、最適化が起きていないとは決して考えないだろう」というものだ。確かに、最適化モデルのようなものは、変数をいじることによって、恣意的にある結果を導くようなものを作り出すことができるから、この批判のようなことが起こらないとも限らない。しかし、モデルの予測はモデルを構成する変数の値に変化があれば変わっていく。たとえば、最適パッチ滞在時間のモデルでは、利得関数の形やパッチ間移動時間が変化することでモデルの予測は変わる。ということは、モデルが適切なのかどうかは、モデルに含まれる変数の値を変えるような実験を行い、動物の行動がモデルが予測するように変化するかどうかで検証することができることになる。ある状態の動物の行動を説明するためだけにいい加減に組まれたモデルは、決して、変数の値が変化したときの行動の変化を予測することはできないだろう。すぐれた行動生態学者であれば、このようにして、モデルそのものが適切なものかどうかを常に検証しているのである。
4・5 複数個体が競争するときの最適化:理想自由分布
今までは、ある1個体の行動が最適なのかどうかを見てきた。しかし、通常生物は多数の他個体とともに生活しており、資源を利用する時も、他個体との競争から自由であることは少ない。では、資源利用をめぐって競争者がいる場合、生物はやはり最適に行動するだろうか?この節ではその問題を考えることにする。
また、単純な例からみていこう。今、水槽の中に魚が3匹いるとする。この水槽の右端と左端の両方から同時に、餌の量が2:1の割合になるようにいれるとする。魚はどう行動するのがよいのか。右から入ってくる餌の方が多いから、みんな右に行くべきだろうか。自分だけしかいないならそうだろうが、他の個体もいるのだから、当然競争が起こって自分だけで餌を独占することはできなくなる。結局、それぞれの個体にとっては、自分の取り分がなるべく多くなるように行動するのが最適となるだろう。魚は3匹いて、餌の総量は3なのだから、3匹が餌を取り合ったとき、競争能力に差がないとすれば、1匹が1ずつの餌を獲得できるはずだ。そのようになるためには、水槽の右端(餌量2)に2匹、左端(餌量1)に1匹の魚がいればよい。こうなったとき、各個体が獲得する餌量は1ずつになる。このように各個体が受け取る資源量が一定になるような個体の分布を「理想自由分布」と呼ぶ。餌が投入される水槽の両端は資源のあるパッチとみなされており、魚は水槽の両端から投入される餌量を正確に知ることができる(=理想である)うえ、水槽内を移動するのにはなんの負担もかからない(=自由である)と想定されているからだ。つまり、この想定は、資源量に差がある複数のパッチが存在し、それの資源をめぐって複数個体が競争する状況を単純化したモデルであることがわかる。しかし、実際の動物は、先のシジュウカラの例で説明したように「理想」でも「自由」でもない。資源量に差のあるパッチ利用をめぐって個体が競争するとき、理想自由分布は実現するのだろうか。
図4・7がその答えである。図4・7aは先に紹介したフンバエの例だが、糞上のメス(=資源)の分布から予測される理想自由分布からのオス数の予測値(黒丸)と、観察されたオスの分布(白丸)は驚くほど一致している。また、図4・7bはトゲウオという魚を6匹使って上記のような実験をした結果だが、餌投入開始後わずか数分で、餌投入場所に集まる魚の個体数は餌投入量の比から予測される理想自由分布値に近づいた。つまり、現実の動物は理想でも自由でもないが、資源をめぐる競争の結果として理想自由分布は達成され、複数の個体が同時に行動する場合でも、各個体はその状況で最適と考えられる行動をとったことになる。このような例も、自然選択による適応進化を支持する結果であると考えられる。
4・6 複数戦略の共存:悪条件下の最善とゲーム下での頻度依存性選択
今まであげてきたような最適化モデルが、生物の適応という現象をよく説明できることはおわかりいただけたと思う。最適化の考え方によれば、生物はある状況の下で最適と考えられる戦略をとるように進化していくことになる。とすると、十分長い時間がたてば集団の中のすべての個体が同じやり方をするようになるはずであり、ある種に属する個体の行動パターンは1つになってしまうはずである。しかし、現実にはそうでない例もたくさん見いだされる。たとえば、夏になるとカエルが池のまわりでさかんに泣くようになるが、鳴くのはオスだけで、メスはオスの鳴き声に惹かれてやってきて、オスのどれかと交接して産卵する。ところが、よく観察してみると、鳴いているオスはオスの内の一部だけで、多くのオスは鳴かずにじっとしており、それらのオスは、鳴いているオスの鳴き声に惹かれてやってきたメスが近くを通るとそのメスを捕まえて交接してしまうのである。ここでは明らかに、鳴いてメスを呼び寄せて交接する、と、鳴かずに待ち伏せしてメスと交接する、の2種類の行動がオスの中に見られる。なぜ、最適化の考えが予測するように、すべてのオスが1つの行動を示すようにならないのだろうか?ここからのいくつかの節では、この例のように、集団内に行動(=戦略)の多型が見られる場合、自然選択による適応進化の観点からはどのように説明できるのか、という問題を取り扱う。
4・6・1 悪条件下での最善
前に説明したように、ある種の個体の行動は、それが持つ制約の上で最適化されるのだから、論理的に考えうるもっともよい行動をとれるとは限らない。つまり、当たり前のことだが、自分があらかじめ持っていない選択肢は選べないと言うことだ。前の節では、よく似た環境に生息する別種のあいだで制約に差があるため、それぞれに最適化されていても、直接競争する場合の競争能力に差がある、という例を紹介した。しかし、同種の個体間でも生育環境の違いなどにより、個体ごとに制約が異なる場合が考えられる。たとえば、遺伝的には同質と考えられる一卵性双生児であっても、生育期に片方だけが病気をしたり、別々の環境で育てられたりすれば、当然異なる体格や性格に育つだろうし、事実そうである。このように、個体がことなる制約を持つとき、条件によって行動を変化させているらしい例がしられている。実例としてはカブトムシの角の大きさと関連した行動の変化や、サケのオスの体の大きさの違いによる繁殖行動の変化などがある。カブトムシでは、角の大きな個体は餌場で他のオスを闘争によって排除しながらメスを待ち、やってきたメスと交尾するという行動をとるが、角の小さなオスは餌場からなれたところでメスを探し回る。サケでは、体の大きなオスは産卵場所を防衛し、やってきたメスと繁殖するが、小さなオスは、大きなオスがメスとペアになって放精する、大型オスが産卵場所に侵入する他のオスを攻撃できない瞬間をみはからってメスのとなりに飛び込み放精する。
このような集団内の行動の多型は、親からみて、子孫個体が条件に応じて行動を変えた方がいいかどうか、という観点から考えると理解しやすい。子孫が条件に応じて行動を変化させる戦略を「条件付き戦略」とし、どのような条件でも行動を変化させない戦略を「純粋戦略」とする。ある親が子孫を残す場合、子孫個体によって競争の前提となる条件が異なるのだから、条件的に不利な子孫個体は条件のよい子孫個体と同じ行動をしたのでは全く適応度をあげることができないかもしれない。そのとき、条件が悪い子孫個体に、条件が悪いなりにそこそこの適応度をあげられるような行動をとらせることができれば、条件の悪い子孫個体が条件のよい子孫個体と同じ行動をして適応度を残せないよりは親にとって有利になる。つまり、子孫が悪条件下で最善を尽くすことが親にとって有利になり、条件付き戦略が集団中に広まる。その結果、ある世代を見たとき集団中に複数の行動タイプが存在することになる。上に上げた例では、角のちいさなカブトムシのオスや、体の小さなサケのオスは悪条件下で最善を尽くしていると考えられる。悪条件下の最善は、やらないよりはまし、ということなので、ある世代の中で見れば、条件のよい個体の行動に比べて悪条件の個体の適応度が低くなる場合が多い。一見、適応度に差のある形質が共存しているかのように見え、適応度の高い性質が集団をしめる、という自然選択の大原則に反するかのように見える。しかし、前述したように、親の戦略としてみれば、子に悪条件下で最善を尽くさせる親のほうがそうしない親より適応度が高いので、やはり、より適応度の高い親が集団を占めている、ということになり、最適化による進化の枠組み内で理解できる。
4・6・2 最適化モデルが使えないとき:ゲーム理論
最適化の考え方は、生物の適応度を一番高くするような戦略が自然選択によって進化する、と予測する。すなわち、様々な戦略があるとしたら、その中で適応度を一番高くするような戦略(=最適戦略)のみが残っていく、と考えるわけだ。では、先に出したカエルの例で、オスの2つの行動の優劣を思考実験で比べてみることにしよう。どちらかが常に優れていれば、そちらが最適な行動のはずである。まず、ある集団ですべてのオスが鳴かないとしよう。そこに1匹だけ鳴くオスが入ってくる、という状況を考える。メスはオスの鳴き声に惹きつけられる性質を持っているから、たった1匹の鳴くオスのまわりにはすぐに無数のメスが集まってくることになり、そのオスは必ず繁殖に成功するだろう。ところが、鳴かないオスは、集まってくるメスと確実に出会うという保証は何もないので、必ず繁殖に成功するとはいえない。従って、この状況では鳴くオスの方が有利であり、世代を繰り返せば鳴くオスの数が増えていくことになる。では、逆にすべてのオスが鳴くような集団に、鳴かないオスが入ってくることを考えよう。鳴く、ということはもちろんメスを呼び寄せる、という効果があるが、同時にカエルを餌にしているヘビやイタチなどの敵を呼び寄せる結果にもなる。ということは、自分以外のすべてのオスが鳴いている中にいる鳴かないオスは、メスと出会う確率は他のオスに比べて少し低くなるかもしれないが、鳴き声を頼りにやってくる敵に出会う確率は、鳴くオスよりはるかに低くなると考えられる。従って、鳴かないオスは、鳴くオスより平均して長生きができ、結果的に鳴かないオスよりたくさんのメスを獲得でき、ひいてはたくさんの子孫を残すことができるだろう。であれば、この状況では鳴かないオスの方が適応度が高く、鳴かないオスが集団の中に増えていくことになる。結局、この例では、どちらかの行動がいつも有利であるとはいえず、集団中に自分と異なる行動をとる個体がどのくらいいるかによって、もう一つのやり方との優劣が変化してしまうのだ。このような場合には、適応度が一番高い戦略が残る、という最適化の考え方を単純に適用することはできない。ではどうすれば進化の帰結を予測できるのだろうか。そこで登場するのが「ゲーム理論」と呼ばれる考え方だ。
ゲーム理論が取り扱うのは、ある行動をとる個体の適応度が自分の戦略だけでは決まらず、別の戦略をとる個体の存在に左右されてしまうような状況だ。抽象的な例をあげれば、ジャンケンがそうだ。集団中にグー個体、チョキ個体、パー個体がいるとき、それぞれの個体の勝ち負けを考えるとすると、それぞれ自分の戦略だけでは決まらず、相手の戦略が何かにかかっている。当然、ジャンケンではグー、チョキ、パーのうち、いつも勝つ手(=最適戦略)は存在しないから、最適化の考え方では進化の帰結を予測できない。このようなゲーム状況下での戦略の進化は、大きく分けて2つの道筋をたどることになる。1つは、集団中に、いくつかの戦略がある特定の割合で共存する状態が実現する場合であり、もう1つは、全個体が特定の1つの戦略をとるようになると、他の戦略は決して集団に入っていけなくなる場合である。まずは、複数の戦略が共存するような場合を考えてみることにしよう。
4・6・3 頻度依存性選択による複数戦略の共存
話を単純にするために、集団中に2つの戦略しかない場合を考える。もう一度、上で例に出したカエルのことを考えることにしよう。すでに説明したように、もし、集団中のオスがすべてが鳴く戦略の個体ばかりなら、鳴かない戦略は有利になり集団中に広がるが、逆に、鳴かないオスばかりの集団には鳴く戦略は容易に入り込むことができると考えられる。では、鳴く戦略と鳴かない戦略の割合はどうやって決まるのだろうか。図4・8を見ていただきたい。これは、カエルの例をモデルとしてグラフにあらわしたもので、それぞれの戦略の適応度を、集団中の鳴く個体の割合に対する関数としてあらわしてある。この例では、どちらかの戦略が集団すべてを占めているとき(グラフの右端または左端の点)には「いない」方の戦略の適応度が必ず高いから、両戦略の適応度を表す線はグラフ中のどこかで交差することになる。もちろん、それぞれの戦略の適応度を実際に測ったわけではないので、グラフの形は仮想的なものだが、両方の適応度関数の形がどんなであっても、2つの戦略の適応度関数が必ずX字型に交差することはわかるだろう。グラフの各ポイントにおいて、適応度関数が上に来る方の戦略がそのポイントで数を増やすことができる戦略になる。すなわち、適応度関数の交点より右側では「鳴かない戦略」が、左側では「鳴く戦略」が有利ということになる。また、グラフの横軸は「集団中の鳴く個体の割合」だから、集団中の2つの戦略がどのような割合で存在しても、必ずグラフの横軸上のどこかに落ちる。この状況で2つの戦略の割合がどこに落ちつくか考えてみよう。適応度関数の交点より右側の状態のときは、必ず「鳴かない線略」が有利だから鳴かない個体が数を増し、集団の状態はX軸上を少し左にずれた状態へと移行していく。逆に交点より左側の状態では、「鳴く戦略」が有利となり、鳴く個体が数を増し、集団の状態も同時に少し右へずれる。もうおわかりだろう、最終的に進化が止まるのは、2つの戦略の適応度が等しくなる割合(図4・8のp点)になる。2つの戦略がこのような割合で存在するときには、どちらの戦略をとる個体の適応度も等しくなり、優劣がなくなる結果、どちらかの数が増えたり減ったりするような自然選択は働かなくなるのだ。もちろん、この状態から少しでも割合がずれた場合、頻度の少ない方の戦略が有利となり、元の頻度に戻すような自然選択がかかるわけだから、この平衡頻度はいつまでも保たれることになる。このように、ある戦略の頻度に応じてその戦略の適応度が決まるような場合にかかる自然選択を「頻度依存性選択」と呼んでいる。そして、このカエルの例のように、自分の頻度が高いときには相手の戦略が有利になり、自分の頻度が低いときには自分の戦略が有利になるような場合には、それぞれの戦略をとる個体の適応度が等しくなるような割合で2つの戦略が共存するようになる。もちろん、このモデルは3つ以上の戦略が同時に存在するような場合でも考えることができる。しかし、各戦略の共存が実現されるためには、常に、自分の頻度が非常に小さい時には、他のどの戦略より自分の適応度が高い、という条件が満たされていなければならない。そうでない場合、つまり、図4・8で2つのラインが交差せず、どちらかのラインが常にもう1つのラインの下にあるような場合を考えたときには、集団の状態がどのようであっても、常に適応度関数が上に来る方の戦略が有利となり、そちらの戦略だけで集団が占められるようになってしまうことになる。これは最適化による戦略の進化と考えることができる。結局、頻度依存性選択が働く場合、各戦略の頻度がどういう状態で落ちつくかは、それぞれの戦略の関数型によって決まることになり、ある場合には、複数の戦略の共存が見られることになる。従って、現実の動物集団の中に、複数の戦略が見られる場合でも、それが頻度依存性選択の結果として解釈できるならば不思議はないことになり、自然選択の存在下でも複数の戦略の共存が成り立ちうる。つまり、自然選択の存在下でも、最適化による1つの戦略の独占が常に起こるわけではない。さて、次の節では、複数の戦略間でゲームが行われた結果、ある1つの戦略で集団が占められてしまう場合を考え、それが、最適化による戦略の単一化とどうちがうのかを見ていくことにしよう。
4・7 子どもの性をどのように作ればいいか:進化的に安定な戦略
ゾウアザラシ、という動物がいる。ご存じだろうか。ゾウアザラシはその名の通りアザラシの1種で、普段は海で生活しているが、繁殖期には一定期間上陸して交尾、出産、子育てを行う。繁殖期にはオス1頭と無数のメスからなる、「ハレム」と呼ばれる繁殖集団を作り、たった1頭のオスは、ハレムのメスと次々に交尾し、群で産まれる子供ほとんどすべての父親となる。では、このような生活史をもつゾウアザラシでは、母親から産まれてくる子供の中のオスとメスの比率(性比)もやはりメスが多いのだろうか?答えはノーだ。母親から生まれてくる子の数は、ほぼオス:メス=1:1になっているのである。なぜこうなるのだろうか。この節では、子どもの性比をどのようにつくるか、という問題について、複数の戦略間でゲームが行われたときに何が起こるかを見ていくことにする。
別に扱う動物はゾウアザラシでなくてもいいので、ここでは単に有性生殖をするある生物の問題として考える。ある母親について考えてみると、子どもの性比をどうするかについての戦略は次の3つしかないことがわかる。1)オスを多く作る、2)オスとメスを同じ数だけ作る、3)メスを多く作る、である。話を単純にするために、オス、メスともに1回だけ交尾し、すべての母親は同数の子を生み、親は子どもを1回だけ生むとすぐに死に、産まれた子供は成体になるまで死なずに成長し、繁殖集団の中で交尾してから親と同数の子を生む、とする。ではここで、ある戦略をとる母親の適応度はどのように書き表せるかを考えよう。適応度は将来の世代に残す子どもの数としてあらわされる。ここでは、自分が生む子の中の性比が母親の戦略なのだから、適応度の指標としては、子どもの数でなく孫の数を考えなければならない。子どもは成長してから、繁殖集団の中で交尾をするのだから、子どもが交尾に成功するかどうかは集団全体の中にオス、メスがどれだけの比率で存在するかにかかっている。つまり、集団全体でどちらかの性が多ければ、少ない方の性の個体はすべて交尾できるが、多い方の性ではあぶれる個体がでる、ということである。このことから、母親の戦略の適応度が自分の戦略だけでは決まらず、他の母親の戦略の影響を受けるという、ゲーム理論が適用されるべき状況であることがわかる。さて、ある母親にとっての孫の数はどう決まるかというと、孫=息子の子+娘の子となることはすぐにわかるだろう。もう少しくわしく見ると、孫の数は次のように計算できることがわかる。すなわち、孫の数=(息子の交尾成功率)X(息子数)X(息子の交尾相手が生む子の数)+(娘の交尾成功率)X(娘数)X(娘が生む子の数)、である。では、具体的に数字を当てはめて、それぞれの戦略の適応度を計算してみよう。
上に述べたような生物で、集団中に100匹の母親がいて、4匹ずつ子どもを生むとする。ある母親の戦略として、1)オス:メス=3:1、2)オス:メス=2:2、3)オス:メス=1:3、の3つを考える。子どもの交尾成功率は他の母親がどういう戦略をとるかにかかっているから、自分以外の99個体の母親がとる戦略も上の1)、2)、3)である3つの場合それぞれについて、残りの1個体の母親が、3つの戦略をとるときのその母親の適応度(孫の数)を計算することにしよう。計算の結果はBox4.2に示してある。各欄の適応度がどのように計算されているかはBoxを見ていただくとして、計算された適応度からは、ある母親の適応度は、他の母親の戦略の結果、すなわち集団の性比に依存して変わり、集団の状況に応じてどの戦略が一番いいかが変わってくるということが見てとれるはずだ。具体的にいえば、オス:メス=3:1という戦略は、集団全体でメスが多いときは3つの戦略の中で最良だが、オスが多いときは最悪になる。他の戦略も、集団の状態に応じて、3つの戦略の中での相対的な順位が変わっている。では、結局、どの戦略が生き残っていくのだろうか。このBoxだけではわかりにくいので、ある母親1個体の3つの戦略の適応度が、集団の性比に対してどのように変化するかを図4・9に示してみた。集団の性比がある状態であるときには、その点でもっともラインが上に来る戦略が増えていく。したがって、集団の性比がひどくメスに偏っているときはオスを多く作る戦略が増え、ひどくオスに偏っているときには逆にメスを多く作る戦略が増える。また、性比に偏りがないところでは1:1で作る戦略が増えることになる。ということは、進化が始まる時点での集団の性比がどんな状態だったとしても、集団全体の性比はだんだん1:1に近づくように動いていくことがわかるだろう。したがって、どこから出発しても最終的には集団の性比は1:1になる。そして、集団の性比が1:1で安定してしまうと、1:1以外の戦略はもう増えることができなくなり、最後にはすべてが子の性比を1:1にする個体ばかりになる。これが進化の終着点だ。こうなると、何らかの理由で、それ以外の性比で子どもを生む個体が集団に入ってきたとしても、その個体の適応度は他の個体よりも常に低くなるため広がることはできない。ようするに、子の性比を1:1にする戦略は、集団の性比がどこから出発しても、最終的には必ずこの戦略だけが生き残る、という戦略であり、このような戦略を進化的に安定な戦略(Evolutionaly Stable Strategy : ESS)と呼んでいる。以上のことからわかるように、子の性比をめぐるゲームではオス:メス=1:1で作る戦略がESSなので、集団の性比も、各個体が作る性比も1:1になる。先のゾウアザラシを始め、多くの動物で集団や、個体の性比が1:1になっているのはこうした理由だと考えられる。
最適化による進化もESSもただ一つの戦略が集団中に固定するという結末は同じだが、この2つに働く自然選択の働き方は違うことに注意したい。最適化の場合、他の戦略をとる個体がいても、自分の戦略の適応度が影響を受けることはない。たとえば、時間あたりの餌獲得量のような適応度の指標は、採餌のやり方に応じて一つだけ決まるものであり、他個体がどういう戦略をとってもその値は変わらない。しかし、性比の例でわかるように、ESSではある戦略の適応度は他の戦略との相対的な頻度がどうであるかによって変わる。すなわち、ESSは頻度依存性選択の結果として実現するものなのだ。この節で述べてきたことをまとめていえば、今までに調べられた動物の機能的行動では、集団でただ一つの適応的行動が見られる場合は、最適化、もしくはゲームの結果としてのESSの実現として説明できる例が多く、複数の行動型が共存する場合は頻度依存性選択の結果、各戦略の適応度が等しくなっているか、「悪条件での最善戦略」を採用していると考えられる例が多い。もちろん、すべての動物のすべての機能的行動を調べ尽くしたわけではないので、自然選択による適応進化でない機能的行動がないとは断言することはできないし、いまだに、生物学者の中にさえ、自然選択による適応進化はなかった、と信じている人もいる。しかし、自然選択による適応進化のプロセスは、論理的には間違っていないので(論理的に起こりうる過程であるという意味)、もし、これが事実でないと主張したいなら、明らかに自然選択で説明できない適応進化の例を出してもらわねばならない。しかし、この25年ほど、世界中の多くの学者が精力的に研究を進めているにも関わらず、そのような例は報告されていないことをここでは強調しておきたい。
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