フダンソウは葉と葉柄を食用とする野菜である。基本的に夏作野菜として用いられ、 浸し物、和え物、煮物、炒め物、鍋物、あるいは裏ごしして利用する。 また、中肋・花茎をアスパラガスの代用とするという(山川 1989; 高橋ら 2003)。
フダンソウには地域によって異名が多く、不断草、常菜、夏菜、常時菜、無精菜、 唐苣(トウヂサ)、恭菜といった名称がある。わが国以外でもフダンソウは栽培されており、 中国では、地域によって牛皮菜、白合石菜、あるいは厚皮菜などとよばれているようである。 英語圏ではleaf beet、spinach beet、swiss chard、spinach chard、あるいは まれにmangoldという。その他の言語では、pazi(トルコ語)、bleda、acelga(スペイン語)、 siliqa(シリア語)等があり、北アフリカ、東地中海から西アジアではsilik(アラビア語) あるいはsiliqと称する(細川 1980; Laufer 1919)。このように、フダンソウが 温帯地域で幅広く栽培されるのは、暑さや寒さ、あるいは乾燥といった物理的なストレスに対して強く、 土壌適応性が広いこと(山川 1989)が理由だろう。フダンソウ栽培は夏場に葉物野菜が 不足していた時代には西日本を中心に盛んだったようであるが、近年ではホウレンソウ等の 葉物野菜が一年中市場に出回るようになったことから、栽培規模は急速に縮小している(高橋ら 2003)。 現在では、家庭菜園を中心にごく小規模で栽培されるに過ぎず、野菜としての市場的な価値はほとんど無い。 このため、積極的な品種改良は行われていない(山川 1989)。 こうした傾向は世界中で共通しており、 農業的な重要性はテンサイほど大きくない(Ford-Lloyd 1995)。 従って、将来にはフダンソウ栽培が絶えて、遺伝資源が消失することが懸念される(高橋ら 2003)。 これに対し、いくつかの研究グループが遺伝資源収集を執り行ってきたが、 収集されたフダンソウ遺伝資源の整理・分類に関しては混乱状態にあり(Frese 1991)、 コアコレクションの整備等が今後の課題である。そのためには、フダンソウの遺伝的多様性や 起原に関する知見が不可欠となろう。
フダンソウは昔でいうところのアカザ科(Chenopodiaceae)、現在提唱されているところでは ヒユ科(Amaranthaceae)に属し(Cuenoud et al. 2002)、 Beta vulgaris L.と称される植物種内の一品種群である。 B. vulgarisには、野生型と栽培型の両方が含まれ、それらは亜種レベルで区別されている。 すなわち、野生型をB. vulgaris subsp. maritimaとし、 栽培型をB. vulgaris susp. vulgarisとすることで見解が一致している (Lange et al. 1999)。ただし、野生型と栽培型との交雑で容易に稔性のある雑種を得ることができるため、 中には一見すると区別がつかないものも多い。無論、栽培型同士の交配もたやすい。 栽培B. vulgarisには、フダンソウの他に、製糖原料となるテンサイ、飼料となる家畜ビート、 および根菜であるガーデンビート(テーブルビート、ビーツ)品種群が含まれる。これら品種群を植物学的に 分類する試みがなされてきたが(表1)、群内の形質の変異が大きい上に群間の変異が連続的で移行型が多く、 その結果として分類体系は非常に複雑になり、実用的とは言い難い。これには、育種の過程の交雑や、 意図しない雑交等の理由により、B. vulgaris同士が盛んに遺伝子を交換していることが 関係しているのかもしれない。そもそも、植物学的な一つの栽培種内に、利用方法が異なる品種群が 複数存在する事例はきわめて珍しい。そのため、Lange et al. (1999)は、 これまでの植物学的な分類法に代わり、収穫物の利用方法に基づき大まかにグループ化することを 提案している(表2)。これに基づくなら、フダンソウはBeta vulgaris L. subsp. vulgaris (Leaf Beet Group)と記述することになり、胚軸や根が肥大せず、葉と葉柄を野菜として利用するものが全て含まれる。
表1 栽培Beta Vulgarisの学名Cultivar Groups(Culta) | ||||
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Leaf Beet Group | Garden Beet Group | Fodder Beet Group | Sugar Beet Group | |
対応するこれまでの和名品種群 | フダンソウ スイスチャード |
ビーツ テーブルビート ガーデンビート 食用ビート |
家畜ビート 飼料用ビート |
テンサイ |
フダンソウは、東洋型(小葉型、日本在来種)、西洋型(洋種白茎、欧州型)、 およびスイスチャード(西洋型に含める場合もある)に分けられるという記述が見受けられるが、 実際に栽培してみると、どちらなのか判別がつかない中間型があることや、 ヨーロッパ在来種に東洋型に見えるものがあるなど、 判定基準に適合しない品種が多数見受けられるので(図1)、 実用的な分類とは言えない。Frese (1991)もフダンソウ遺伝資源の形質調査から同様な結論を導いている。
フダンソウは基本的に両性花株であるが、雌性両性異株の品種も見つかる (M. Moritani, T. Kubo and T. Mikami, unpublished)。 栄養成長を行った後に抽苔・開花に至るが、長日のみで生殖成長に移行する品種と、 長日のみでは不十分で、おそらくは低温の経験が必要となる品種の2タイプがあるようにみえる (阿部ら 2001; T. Kubo and T. Mikami, unpublished)。 自家不和合性を示す品種があり(阿部ら 2001)、 他のB. vulgaris同様に配偶体的な作用である可能性が高いが、詳しい調査は行われていない。
フダンソウを含む栽培B.vulgarisの祖先が野生B.vulgaris (B.vulgaris ssp. maritima、以後、本稿では野生ビート) であることは疑いの余地がない(Panella and Lewellen 2007)。 Beta属植物の起原地は、英仏海峡、ヨーロッパ北部大西洋岸、地中海、黒海、 ペルシャ湾からインダス川河口までと考えられるが、より厳密にトランスコーカサスか小アジアとする説もある。 このうち、現在の野生ビートは、地中海沿岸と北部大西洋岸に普通に見られ、 一部はフダンソウと同様に食べることができるという(Biancardi 2005)。
フダンソウが栽培化された地域については、ペルシャ湾岸という説(Biancardi 2005)と、 地中海沿岸という説(山川 1989; Wang and Goldman 1999)があり、 後者の方が受け入れられているようである。栽培化された時期については、 12,000年前から紀元前400年前まで諸説あるが、考古学的な裏付けはない。 文献的に初めて記載例が現れるのは古代ギリシャであり、Aristophanes、Euripides、Aristotle、 あるいはTheophrastosが紀元前400〜300年頃にフダンソウの記録を残している (細川 1980; Biancardi 2005)。一方、細川(1980)は「紀元前800年頃バビロンの王室庭園では Siliquaと呼ばれるこの植物の栽培が」と記述しているが、出典は不明である。 また、古代エジプトにおいて栽培化が行われたという説に対しては、 支持するデータが無い上に強い反対意見があり(Laufer 1919; Biancardi 2005)、採用する理由がない。
栽培化された当時のフダンソウは、かなり雑ぱくな形態の集団であったらしい。 Ford-Lloyd (1995)は栽培B.vulgarisの初期の形態はフダンソウであると断言しているが、 Biancardi (2005)は西暦77年にフダンソウの根の利用に触れている文献があると述べているし、 細川(1980)も葉と根を同時に食用としたとする文献を紹介している。 あるいは、フダンソウ様の植物とガーデンビート様の植物が混在していたのかもしれないし、 両者の中間的な形態だったのかもしれない。 実際、根部の肥大する品種が明確に分離されるのは16世紀以降である(Ford-Lloyd 1995)。 着色についても、すでに赤、濃緑、および淡緑のものが知られていた(細川 1980; 山川 1989)。
栽培化されたフダンソウは、ヨーロッパか西アジアから東アジアへ持ち込まれたと考えられる。 その経路としては、アラブ商人がペルシャの文物とともに持ち込んだ可能性と、 ヨーロッパから直接シルクロードを通ってきた可能性の二つがある (Laufer 1919; Shun et al. 2000)が、結論は出ていない。 中国では唐代(6世紀)までに持ち込まれたことが文献で確認でき、 日本における最古の記録は17世紀である(Laufer 1919; 細川 1980; 山川 1989)。
テンサイは亜寒帯地域における唯一の糖料作物であり、比較的近代になってから作出された栽培植物である。 その成立過程の概略は次の通りである。まず1747年にMarggrafが、栽培B.vulgarisのうち、 根部が肥大するもの(以後、ここでは栽培ビート)に含まれる甘み成分が砂糖であることを示し、 その弟子のAchardは栽培ビート集団中から白色根の個体の試験を続け、ついに砂糖生産に成功した。 その後、1801年にSilesia(現在のポーランド、ドイツおよびチェコの3国にまたがる国境地帯) のCunernにおいて育種事業が続けられ、現在のテンサイの基本種と言われているWhite Silesia種 が育成されたという(細川 1980)。MarggrafやAchardが供試した栽培ビートは、 おそらく家畜ビートであったと思われるが、その詳細については育種学上の問題であり、細川(1980) 元の栽培ビート集団が形態的に雑ぱくな集団であったとする説を紹介している。 これについてさらに踏み込んだ見解の一つとして、Fischer (1989)はテンサイが家畜ビートと フダンソウの交雑に由来すると考え、実際に交雑を行ってテンサイ様の植物を得ることに成功した。 これに対してJung et al. (1993)は、RFLP分析で推定したテンサイとフダンソウの遺伝的な類似性が それほど高くないことから、この説は支持されないと述べている。 もっとも、Jung et al. (1993)の供試したフダンソウは数が限られており、 研究材料に問題が無いとはいえない。 Ford-Lloyd (1995)は、1787年のAbbe de Commerellの記録に基づき、 家畜ビートの起原がガーデンビートとフダンソウの交雑であると考え、 そこからテンサイが選抜されたという説を唱えた。しかしながら、これに対する実験的な証拠はない。 以上のように、テンサイ成立過程でフダンソウが関与したとする見解は多くの研究者の一致するところであるが、 細部に違いがあり、依拠する実験データに乏しいのが現状である。
その一方で、現在のテンサイジーンプールが比較的小さいことを危惧し、 フダンソウ遺伝資源を将来のテンサイ育種に積極的に利用しようとするアイデアがある(高橋ら 2003)。 テンサイ育種においては、既に野生ビートが耐病性遺伝子の供給源として機能しており (Panella and Lewellen 2007)、フダンソウが同様の役割を果たすのに障害はない。 この分野における今後の展開が期待される。
引用文献 | ||
阿部純、神野裕信、工藤裕子、管国平、島本義也(2001)日本のフダンソウ:生育特性、自家不和合性およびアイソザイム変異.て
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Am Soc Hort Sci 124: 630-635 山川邦夫(1989)フダンソウ、植 物遺伝資源集成(第3巻)、(松 尾孝嶺 編)、講談社、東京、pp. 926-927 |
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(補 足)フダンソウの来歴について
青葉[1]によれば、平安時代の書物「本草和名」(918?)に、和名としてフツクサが与えられている、恭菜(「恭」にはくさかんむ りが付く)の項目があるという。それ故、これが本邦におけるフダンソウの最古の記録であるとしている。北海道への伝来については、石 村の解説がある[2,3]。
[1]青葉高(2000)野 菜の日本史、八坂書房、東京 [2]石村櫻(2013)フダン ソウとテーブルビート(第30回 北海道やさいものがたり)、ニューカントリー、7月号 [3]石村櫻(2014)北海道 野菜史話 22. フダンソウとテーブルビート、北農、80: 79-86 |