江戸時代のビーツ

 

 石村 1)によれば,江戸時代に貝原益軒が著した「大和本草」(17092))にビーツの記載があるという.そこで,該当箇所を調べてみると,以下のような記述がある:

 

暹羅(シャムロ)大根.其種,暹羅より来る.京都にて近年隠元()と云う.葉大に,根紅に,赤白の暈紋あり.うずのまいたるに似たりとて,うず大根とも云う.葉の心も紅し,味甘し.冬栄う.これを蕓薹と云うは非なり.

(フリガナは原文のまま.句読点を補い,仮名遣いは改めた.次の引用も同様)

 

 

 根が赤くて,その切断面が渦巻き模様に見え,甘く,大根のような作物であるが,蕓薹(アブラナの類)とは異なる,という特徴はビーツによく当てはまる.シャムロは現在のタイらしい.原産地はともかく,当時このような作物が存在したのは間違いないだろう.

 

 少し時代を下った,小野蘭山の「本草綱目啓蒙」(1803 3))には,以下のような記述がある:

 

 一種蛮産ロートベーテと云うは,●菜[原文では,●はくさかんむりに忝.「かんさい 1)」?「きょうな」?]の形にして茎及び葉脈紅紫色なる者なり.花実も●菜に異ならず.即,救荒本草の火焔菜なり.俗名サンゴジユナ,一名,朝鮮ナ,朝鮮ダイコン,シヤクナ,トウダイコン,アカヂサ,ウズマキダイコン,ニシキダイコン,シヤムロダイコン,インゲンナ,ウズダイコン.其根直にして小蘿蔔の如し.切ば紅白のまきたるすじあり.故に,ウズ及びニシキの名あり.今,多く食用とす.

 

 時代背景を踏まえると,ロートベーテはオランダ語のrode biet(赤いビート?)だろうか 4).小野は,この作物を,花や実が●菜(フダンソウ)と同じで,小さな蘿蔔(ダイコン)のようだ,としている.これもビーツの描写に思える.以上の記述によれば,少なくとも「大和本草」から「本草綱目啓蒙」までのおよそ100年間,貝原や小野のような本草学者はビーツを知っていたことになる.しかし,石村は「江戸時代のビーツの食べ方はわかっていない」と問題提起している 1)

 

 ビーツの日本在来種が残っているのなら,その遺伝子の研究をしてみたいと考え,伝手を頼って調べていただいた.以下,調査結果の概要である 5)

 

・明治42年発行の京都府園芸要鑑 6)には産地としての記載がない.

・隠元菜と名のつく野菜は複数種類ある.杉山 7)によれば,京都では唐菜の別名でアブラナ科葉物野菜を指す.さらに,長崎経由の外来野菜は唐菜や隠元菜の名称で呼ばれた(外国から来た野菜が流行っていたことがあるらしい).

・渦大根は,京都ではトウジシャとも呼ばれ,これはフダンソウを指していた.しかし,これも唐菜と混同していた農家も多かったと思われる.

 

 残念ながら,ビーツの日本在来種は現在に至るまで入手できていない.加えて,もし古いビーツの在来種があるとすれば,その利用法もあるはずである.例えば,昔の日本料理やどこかの郷土料理にビーツを使う事例があっても良さそうなものであるが,筆者は寡聞にして知らない.そうした情報がないということは,日本にビーツ在来種は存在しない可能性が高い.以下,筆者の想像である.

 

 栽培ビートの根部は古くから利用されていたが,ヨーロッパにおいて,いわゆるビーツという品種グループが成立したのは16世紀頃といわれている 8).それらの種子が江戸時代に(おそらく長崎経由で)日本に持ち込まれたのは間違いないだろう.しかし,それをダイコンやカブと異なる植物と認識していたのは本草学者だけで,生産者や消費者は同じ野菜とみなしていたのではないだろうか.江戸時代にビーツ固有の名称がほとんどないことも,このことを裏付けているように思える.おそらく,江戸時代の日本人はビーツを外国からの野菜として珍重したが,調理法まではわからなかった.そのため,ビーツは形態的な類似性からカブやダイコンのように調理されたものの,独特の土臭さが敬遠され,結局定着しなかったのではないか.江戸時代のビーツの食べ方が記録として残っていないのは,ビーツ固有の調理法がなかったから,というのが答えのような気がする.

 

 日本に渡来した栽培ビートがすべてビーツのような運命をたどったわけではない.フダンソウは栽培ビートの一つであるが,ビーツとは別の品種グループに属し,外来野菜としてはビーツの先輩である 1).こちらは日本に根づくことができたので,ビーツとは対照的に,様々なフダンソウの在来種が日本各地で知られている.以下もまた筆者の想像である.

 

 フダンソウはホウレンソウとほぼ同じ調理法が適用できる.しかも,ホウレンソウが少ない時期でも収穫でき,育てるのに手間がかからない.地域によっては,種まきすらしないという.すなわち,株をそのまま放置すると,抽苔開花し種子を撒き散らすので,翌年それより出芽した実生を植え替えたり間引いたりして育成するという 5).このように,フダンソウは昔の日本人にとって便利な,家庭の葉物野菜だったのだろう.したがって,フダンソウは日本の生活文化の中で生態学でいうところのニッチのようなものを獲得しやすかったのではないか.

 

 最近,ビーツの知名度がかつてないほど高まっている(ような気がする)反面,フダンソウ栽培は衰えているようだ.現代の日本の生活様式が江戸時代とはすっかり変わったことがその原因の一つかもしれない.ビーツやフダンソウは,今の日本でニッチを獲得できるだろうか.

 

1) 石村櫻「フダンソウとテーブルビート」ニューカントリー,2013.7.p. 34-36.

2) Wikipediaによる.

3) Wikipediaによる.

4) ドイツ語のrote beteより着想し,red beetをオランダ語にGoogle翻訳.

5) 匿名としますが,情報提供していただいた皆様にお礼申し上げます.

6) 京都府農会編纂,1909

7) 杉山直義「江戸時代の野菜の品種」養賢堂,1995

8) Goldman IL, Navazio JP. 2008. Table Beet. In (Prohens J and Nuez F eds) Asteraceae, Brassicaceae, Chenopodiaceae, and Cucurbitaceae, Springer, p. 217-238.

(2020.4.9)