講義の補足です:「細胞質雄性不稔に対する稔性回復遺伝子の胞子体的作用と配偶体的作用」

1.胞子体や配偶体はどのように定義されるか

胞子体や配偶体を説明する際に,核相交代という語句が登場する.以下,田村1によれば,『核相交代とは配偶子の接合によって倍加した染色体数を元に戻す機構として起こる減数分裂を境に単相の世代と複相の世代が交代する現象をいう.陸上植物は単複相生物[注:接合子から減数分裂までの複相世代と,減数分裂から配偶子までの単相世代がある]であり,有性世代は単相,無性世代は複相となる.このように世代交代と核相交代が一致する場合,無性・複相世代を胞子体,有性・単相世代を配偶体と呼ぶ』とある(以上,オリジナル1から改変).辞典類では,もっと簡単に,植物の複相世代=胞子体,単相世代=配偶体としている2, 3

2.細胞質雄性不稔植物において稔性回復遺伝子がヘテロ接合のとき

雄性不稔性を打ち消す作用を持つ核遺伝子を稔性回復遺伝子という3.細胞質雄性不稔性の研究や利用にあたっては,稔性回復遺伝子の情報が不可欠である.今,稔性回復遺伝子にRfなる記号を与え,その劣性対立遺伝子をrfとする.稔性回復を行うのが優性対立遺伝子Rfと仮定して稿を進める.

ここに雄性不稔細胞質を持つが,稔性回復遺伝子型がRfrfのヘテロ接合である植物があるとする.この時,稔実花粉がどのような割合で着生するのかは雄性不稔細胞質によって異なる.比較的多くのケースでは,花粉稔性はほぼ100%である.花粉は単相世代(配偶体)であるので,Rfrfヘテロ接合の植物からは,Rfもしくはrfの遺伝子型を持つ花粉が1:1の割合で出現することになる.しかし花粉稔性がほぼ100%であることから花粉の遺伝子型の分離(Rfrf = 1:1)は表現型を説明できず,花粉の遺伝子型は花粉稔性と無関係である.だとすれば,Rfは減数分裂以前の発達ステージで作用しているか,花粉の周囲にある組織から花粉に作用を及ぼしていると考えられる.これらはいずれも複相(この場合遺伝子型Rfrf)であるから,Rfは胞子体において作用していると思われる.このようなモデルが適用できるとき,稔性回復遺伝子は胞子体的に作用するという4など.例えばテンサイの稔性回復遺伝子として,それぞれXZという記号が与えられた二つの遺伝子が知られているが,いずれも胞子体的に作用する5, 6

いくつかのケースでは,花粉稔性はほぼ50%である(半数の花粉が不稔となる)。得られた花粉を細胞質雄性不稔植物(すなわち雄性不稔細胞質を持ちrfrfホモ接合)に受粉させると,次世代で現れる植物は全て花粉稔性50%であり,雄性不稔の植物は出現しない.このことから,受粉に与った正常な花粉の遺伝子型は全てRfであることがわかる.よって,花粉母細胞から減数分裂により遺伝子型がRfrfの配偶体が出現しても,正常な花粉は前者のみで後者は不稔であるとすると,交配結果をうまく説明できる.このようなとき,稔性回復遺伝子は配偶体的に作用するという4など

一方,研究者によっては植物体の表現型ではなく個々の雄性配偶体における不稔性発現に着目して,雄性不稔性が胞子体(減数分裂前)で既に決まっているか,あるいは配偶体(減数分裂後)で初めて決まるかを考え,それぞれ「胞子体的細胞質雄性不稔」「配偶体的細胞質雄性不稔」と記述している7など.これに従うと,胞子体的に作用する稔性回復遺伝子が見つかっている細胞質雄性不稔は「胞子体的細胞質雄性不稔」となるし,配偶体的に作用する稔性回復遺伝子が見つかっている細胞質雄性不稔は「配偶体的細胞質雄性不稔」となる.Kaulの雄性不稔に関するモノグラフ8では,稔性回復遺伝子の胞子体的作用と配偶体的作用の記述に加え,胞子体的雄性不稔・配偶体的雄性不稔という項目が立てられている.

レポートや卒業論文などでは,「胞子体的に作用する稔性回復遺伝子」「配偶体的に作用する稔性回復遺伝子」は奨められるが,「胞子体的細胞質雄性不稔」「配偶体的細胞質雄性不稔」は避けた方がよい.その理由は,後者が誤解を受けやすい表現だからである.まず前節の定義に沿うと植物では胞子体は無性世代,配偶体は有性世代であるから,雄性配偶子の不稔が配偶体世代で起こるのは当然で,むしろ胞子体には雄も雌もないから「胞子体的雄性不稔」というのは若干の違和感がある.胞子体や配偶体という語句が雄性不稔を形容することに対しては慎重になるべきであろう.また,「配偶体的細胞質雄性不稔」の形態異常は葯発達の比較的後期に認められる(例として9)のに対し,「胞子体的細胞質雄性不稔」の多くでは形態異常はそれより早い減数分裂時あるいはその直後に葯タペート細胞において見られる10.これに基づいて,「配偶体的細胞質雄性不稔」は配偶体が直接異常を起こす雄性不稔で「胞子体的細胞質雄性不稔」は胞子体の異常に起因する雄性不稔であると認識するのは早計である.元々の定義はあくまでも遺伝学的なものであるし,組織学的な異常を含めた発現機構解明はこれからの課題だからである.その上で遺伝モデルと形態異常の相関について普遍性が議論されるだろう.ところで,もしある細胞質雄性不稔に対して,胞子体的に働く稔性回復遺伝子と配偶体的に働く稔性回復遺伝子の両方が存在したら,この細胞質雄性不稔は胞子体的だろうか,配偶体的だろうか?この点で,この分類システムは脆弱なようにみえる.やはり胞子体的あるいは配偶体的という語句は個々の稔性回復遺伝子の作用を形容するのが適切ではないだろうか(これに沿う例として11).

引用文献

1田村道夫(1999)植物の系統.文一総合出版,pp. 20.

2日本育種学会(2005)植物育種学辞典.培風館.

3Allaby M(1998)ADictionary of Plant Sciences. Oxford University Press, Oxford.

4藪野友三郎(1987)植物遺伝学.朝倉書店,pp.138.

5HagiharaE, et al. (2005) Molecular mapping of a fertility restorer gene for Owencytoplasmic male sterility in sugar beet. Theoretical and Applied Genetics111: 250-255[遺伝子制御学の研究成果].

6Honma Y, et al. (2014) Molecularmapping of restorer-of-fertility 2gene identified from a sugar beet (Betavulgaris L. ssp. vulgaris)homozygous for the non-restoring restorer-of-fertility1 allele. Theoretical and Applied Genetics 127: 2567-2574[遺伝子制御学の研究成果].

7Hu J, et al. (2014) Mitochondria andcytoplasmic male sterility in plants. Mitochondrion 19: 282-288.

8Kaul MLH(1988) Male Sterility in Higher Plants. Springer-Verlag, Berlin. pp. 174, 176.

9板橋悦子ら(2012)植物の細胞質雄性不稔性と核遺伝子による稔性の制御について.新潟大学農学部研究報告,64:135-142.

10SchnablePS, Wise RP (1998) The molecular basis of cytoplasmic male sterility andfertility restoration. Trends in Plant Science 3: 175-180.

11YamagishiH, Bhat SR (2014) Cytoplasmic male sterility in Brassicaceae crops. BreedingScience 64: 38-47.

2015.6.5

補足説明

被子植物では,胞子体にも“male”,や“female”を当てはめてよいそうである12.その場合,例えば雄性不稔の植物体を“female”と記述するのは問題ないことになる.ただし,細胞質雄性不稔性に対して「配偶体的」と形容するのをおすすめしないことには変わりない(そのように形容する研究者はいるので,間違いとは言いません).

12Wagner WH, Jr (1975) Sex and theangiosperms – another proposition. Sida 63-66.

2015.8.25