講義の補足です:「細胞質雄性不稔性」の指し示す範囲は文献によって異なる

ここでいう不稔(sterile)とは、生殖できないこと(unable toreproduce)である(1,2)[注:不稔であっても、生物によっては増殖は可能である.例えば、バナナは不稔であるが、球茎を利用して増殖する(3)].雄性不稔はオス側の不稔を指し、植物であれば機能的な花粉が作られない状態である(2)[注:メス側の不稔は雌性不稔という].雄性不稔の原因や機構は多種多様であり、全体像を紹介するのは手に余る(参考文献として4や5).本稿では、雄性不稔性の一つである細胞質雄性不稔性(cytoplasmicmale sterility、CMS)について、何をCMSと呼ぶのかについて若干の解説を加える.

CMSとは遺伝的雄性不稔性の一つであるが、遺伝的雄性不稔性は以下のように分けられるという(5):

  1. a.核遺伝子型−−雄性不稔性が核遺伝子に支配される.従って、雄性不稔はメンデル遺伝を示す.例えば、形質発現がMsmsの二つの対立遺伝子で説明できることもあるだろう.これらの核遺伝子の発現は細胞質の影響を受けない.
  2. b.細胞質単独型−−雄性不稔性が細胞質に支配される.従って、雄性不稔は母性遺伝を示す.例えば、形質発現がS細胞質とN細胞質の二つの細胞質で説明できることもあるだろう.一例として、Nicotianasylvestrisのプロトプラスト培養により出現した雄性不稔変異体がある(6).これは、ミトコンドリアに雄性不稔の原因があるが、雄性不稔発現遺伝モデルに核遺伝子が登場しない[注:この雄性不稔変異体のうち、ミトコンドリアnad7遺伝子欠損変異体については、ミトコンドリア輸送シグナルペプチドを付加したNAD7を核に導入して発現させると、機能的なNAD7タンパク質がミトコンドリアに輸送されて変異形質を相補できるという(7).ただし、これは実験的にそのような核遺伝子を作ることが可能だという結果であり、自然界でこのような核とミトコンドリアの相互作用があるということではない]
  3. c.核細胞質型−−雄性不稔は、特定の核遺伝子と細胞質の相互作用により発現する.頻出する遺伝モデルは、S細胞質とN細胞質、およびRfrfの二つの対立遺伝子で形質発現を説明するものである.このモデルにおいて雄性不稔を発現するのは[S]rfrfなる遺伝子型の個体のみで、その他の遺伝子型では雄性不稔とはならない.これを基本モデルとし、これに似ているがRfを2つ以上仮定したり(例えばRf1Rf2)、それらのRfの作用力に強弱をつけるといった派生型モデルも知られている[例えばテンサイ(8)].
     植物でなくても雄性不稔発現に核と細胞質の両方が関わるのであればこの範疇に入る.ショウジョウバエでは、核と細胞質の組み合わせを変更することにより雄性不稔が発現するという(9).この場合、細胞質供与親や核親は全く正常であり、特定の細胞質と核の組み合わせにより雄性不稔が発現するのだから、核細胞質型の雄性不稔性である.

以上のような分類は遺伝モデルに基づく分類であり、原因遺伝子の分子的実体は考慮していない.このことは、雄性不稔発現の遺伝モデルを明らかにせねば、aからcのどれに分類されるのかはわからないことを意味する[注:もっとも、ゲノムDNA塩基配列分析により予めヒントが得られる時代が来る可能性は否定できない(10)]

aからcのうち、CMSはbとcの両方を指すとされる(4).この立場は、bとcに本質的な違いが無いという考えに立脚している.例えば、相互作用する核遺伝子が見つからないだけで誤ってbに分類される場合もありうるだろうから、bとcを分けても仕方がないという考え方である(4).

ところが、CMSを扱う論文や総説などでは、cのみを指してCMSとする場合がある.例えばBudar etal.(11)はこの立場をとり、核遺伝子と細胞質の相互作用により発現が決定される雄性不稔性のみをCMSと呼ぶ、と述べている.育種的に、集団遺伝学的に、あるいは進化学的に頻出するタイプはcなので、現実重視の立場と言えるだろう.

レポートや論文では、緒言で「CMSとは...」と定義しておけば混乱を招くことはない.従って、本稿の主題は実際の問題ではなく、トリビアにすぎないとも言える.では、なぜこのような二種のCMSが生まれたのだろうか.Budar etal.(11)は、CMS研究黎明期の研究者がcタイプの雄性不稔の研究を行って核の関与を認めていたにもかかわらず、このタイプの雄性不稔に核という言葉を付けずに「細胞質」雄性不稔として発表したことを指摘している.本来であればこれは「核細胞質雄性不稔」(nuclear-cytoplasmicmale sterility、NCMS)あるいは「(核)遺伝子細胞質雄性不稔」(gene-cytoplasmicmale sterility、GCMS)が用語として相応しかったはずである(5, 11).将来、bとcに関する包括的な議論が必要になれば、こうした用語の出番が来るかもしれない.

引用文献

  1. King RC, Stansfield WD, and Mulligan PK (2006) ADictionary of Genetics (7th Edition). Oxford University Press, New York.
  2. Allaby M (1998) Dictionary of Plant Sciences (2ndEdition). Oxford University Press, New York.
  3. ダン・コッペル(2012)バナナの世界史.(黒川由美 訳)太田出版、東京.
  4. 木下俊郎(1992)植物の雄性不稔性の遺伝と育種.In: (原田宏監修,丸茂晋吾,木下俊郎,日向康吉,岡田吉美,藤伊正,鎌田博,佐藤忍 編集)開花結実の分子機構.秀潤社,東京.pp.107-139.
  5. Kaul MLH (1988) Male Sterility in Higher Plants.Springer-Verlag, Berlin.
  6. Gutierres S, Sabar M, Lelandais C, Chetrit P,Diolez P, Degand H, Boutry M, Vedel F, de Kouchkovsky Y, De Paepe R (1997) Lackof mitochondrial and nuclear-encoded subunits of complex I and alteration ofthe respiratory chain in Nicotianasylvestris mitochondrial deletion mutants. Proc Natl Acad Sci USA 94:3436-3441.
  7. Pineau B, Mathieu C, Gerard-Hirne C, De Paepe R,Chetrit P (2005) Targeting the NAD7 subunit to mitochondria restores afunctional complex I and a wild type phenotype in the Nicotiana sylvestris CMS II mutant lacking nad7. J Biol Chem 280: 25994-26001.
  8. Owen FV (1945) Cytoplasmically inherited malesterility in sugar beets. J. Agr. Res. 71: 423-440.
  9. Clancy DJ, Hime GR, Shirras AD (2011) Cytoplasmicmale sterility in Drosophila melanogasterassociated with a mitochondrial CYTB variant. Heredity 107: 374-376.
  10. Kubo T, Kitazaki K,Matsunaga M, Kagami, H, Mikami T (2011) Male sterility-inducing mitochondrialgenomes: how do they differ? Crit Rev Plant Sci 30: 378-400. [遺伝子制御学の研究成果]
  11. Budar F, Touzet P, Pelletier G (2006) Cytoplasmicmale sterility. In: (C. Ainsworth ed) Flowering and its Manipulation, BlackwellPublishing, Oxford, pp. 147-180.

補遺

不稔に関して、“unable toproduce reproductive structure”という定義があり12、こちらの方が本稿のテーマに合う.一方、“reproduce”単独では、“asexualreproduction”という言い方ができるように、より広い意味にとれる.

  1. 12. Allaby M (1998) Dictionary of Plant Sciences.Oxford University Press, New York.

2015.2.18