講義や学生実験で細胞質雄性不稔性に興味を持ってくれた方へ:
テンサイ細胞質雄性不稔性はどこからきたか

1.はじめに

細胞質雄性不稔性(CMS)について、少し詳しい総説を読むと、CMSは起源に基づき大きく2タイプに分けられるとある(1)。すなわち、同質細胞質型と異質細胞質型である。後者は、遠縁(系統間、種間、あるいは属間)の植物同士を交配した結果現れるタイプであるのに対し、前者は、簡単に言うと、畑の中で自然に見つかったタイプである。「畑の中で自然に見つかった」という事実から、「進化的にごく最近になって出現した」と考えたくなる。しかしながら、以下に述べるように、少なくともテンサイ育種で使われているCMSではそのような考えを支持するデータは無く、むしろ多様な細胞質が栽培植物の進化の過程で維持されてきたと考える方が説得力がある。

テンサイでCMSが育種的に重視されるに至った過程を見てみよう.世界的に,現在のテンサイ品種は,ほぼ全て一代雑種である(2). わが国では1970年代より一代雑種品種が使われ始めた(3, 4).テンサイは元来雑種強勢が出やすい作物として知られていた(5).そのため,古くから集団の中で遺伝的な雑種性を維持し,強勢増進を目論んだ育種が行われてきた(6).テンサイで一代雑種育種が採用されたのは,まずは雑種強勢を最大限利用するためと考えてよい(6).一代雑種品種導入の効果は,絶大であったという(7).

テンサイで高純度の雑種を得るのは容易ではない.テンサイの両性花2系統を自然受粉させた実験によれば,雑種形成率は平均50%であったという(6).そのため,種子親(母親)を雄性不稔化して雑種の純度を高める工夫が必要であった(6).

2.テンサイ育種家Owenの発見

米国の育種家Owenは,品種‘US-1’の中から雄性不稔個体を発見し,この性質が母性遺伝することを報告した(8,9).すなわち,CMSであることを示した.雄性不稔個体には,これ以外の異常は見られず,雌しべは正常なので,この性質を利用すると,純度の高い雑種種子が得られると期待された.その後,多くの育種家の努力により,Owenの発見したCMSは,テンサイ一代雑種種子生産に利用されるに至った.

Owenの発見したCMS(以下,Owen型CMSという)の発現には,3つの遺伝因子が関わっている.それらは,雄性不稔性を促す細胞質遺伝因子,および雄性不稔性発現を抑制する2つの核遺伝因子である(9).現在では,細胞質遺伝因子はミトコンドリアDNA上に,2つの核遺伝因子は,それぞれ第3染色体と第4染色体上に座乗することがわかっている(2).しかしながら,このモデルはかなり単純化されているので,実際の交配結果を完全には説明できない.

3.テンサイにおけるOwen型CMSの分布

テンサイの中から,雄性不稔個体が見つかるのは古くから知られていたようである.例えば,Owen自身が論文の中で,「雄性不稔個体はテンサイでは比較的珍しくないが」と書き残している(9).わが国では,「導入2号」(米国より導入した‘GW359’)の中から,雄性不稔個体が発見されている(10).

これらの品種の中にOwen型CMSが混入していることは,以下のような実験で確かめられた.Owen型CMSを促す細胞質因子がコードされているミトコンドリアDNA(Owen型ミトコンドリアDNA)は,それを含まないミトコンドリアDNAとは構造が大きく異なる(11).そこで,PowlingとEllisは‘US-1’から8個体を選び出し,ミトコンドリアDNAの構造を調べたところ,2個体が典型的なOwen型ミトコンドリアDNAであったという(12).

Owen型ミトコンドリアDNAに対する分子マーカーとして,Nishizawaらはミトコンドリアミニサテライト(繰り返し配列)が利用できることを示した(13,14).すなわち,特定の短い配列について繰り返し数が異なることが遺伝マーカーになり得ると報告した.テンサイミトコンドリアは母性遺伝であるので,ミトコンドリアDNA上のマーカーは全てOwen型CMSを促す細胞質因子と連鎖不平衡にあると考えてよい.経験的に,ミトコンドリアミニサテライトの特定3座における繰り返し数が,Owen型ミトコンドリアDNAのそれと一致するなら,そのサンプルはOwen型ミトコンドリアDNAである(15, 16).海外の種苗会社で育成されたテンサイ品種や,日本のテンサイCMS系統は,ミニサテライト型で見る限り,全てOwen型ミトコンドリアDNAを持っていた(17).また,「導入2号」からはOwen型ミトコンドリアDNAを持つ個体が見つかった(17).従って,調べた限り,一代雑種育種が行われる以前の古いテンサイ品種には,しばしばOwen型ミトコンドリアDNAを持つ個体が含まれていること,および現在テンサイ育種で用いられているCMSも全てOwen型であることが明らかになった.この結果は,古今のテンサイにおいてCMSを誘発していたのは全てOwen型ミトコンドリアDNAであることを示し,これを最もよく説明するのは,Owen型ミトコンドリアDNAはテンサイ祖先集団に既に混在していたという可能性である.

4.Owen型CMSの起源は,どこまでさかのぼれるか?

テンサイは,栽培植物として歴史が浅く,原型が出来上がったのが18世紀末で,栽培植物として認識されるようになったのは,19世紀からといってよいだろう(18).テンサイは,4タイプの栽培ビート(Beta vulgaris L. vulgaris)の1つであり,この他の栽培ビートは,フダンソウ,ガーデンビート(ビーツ),および家畜ビートに分けられる(19).では,これらの栽培ビートの中に,Owen型ミトコンドリアDNAは含まれているのだろうか.もし含まれているとして,それらのOwen型ミトコンドリアDNAとテンサイのOwen型ミトコンドリアDNAには,どのような関係があるのだろうか

栽培ビートの中のOwen型CMSについて言及した報告として,例えばBonaventらの論文があげられる(20).彼らは,古いビーツ品種‘Crapaudine’の中から,Owen型CMSを持つ個体を発見したと報告し,この発見をもとにテンサイOwen型CMSの起源は‘Crapaudine’のようなビーツとテンサイの交雑ではないかと推測している.しかしながら,そのような雑種をOwenがとりあげた、という彼らの主張には無理があるように思う.なぜなら,ビーツとテンサイの交雑は、育種上行われないからである(20).また、AchardのコレクションにOwen型CMSを持つビーツがあったとしても,これがテンサイの祖先になったとは考えにくい.なぜなら,Achardは製糖に適するビートの形態を「白く,紡錘形で,根冠部が地上に抜きでない」と記述している(5,18)が,これはビーツの形態(21)とは全く合致しないからである.むしろAchardは,そのような個体を選抜の過程で除去したはずである.従って,ビーツのOwen型ミトコンドリアDNAがテンサイOwen型CMSの起源とは考えにくい.

Yoshidaらは,家畜ビート在来種の中に,Owen型ミトコンドリアDNAを持つ個体が含まれていることを発見した(17).テンサイは,Achardが家畜ビートの中から選抜して作り上げたことがわかっている(18).そのため,テンサイの祖先となった家畜ビートの中にOwen型ミトコンドリアDNAを持つ個体が混在していたとという可能性がある.家畜ビートの中から雄性不稔個体が見つかることについては,既にKloenが報告していた(22).しかしながら,家畜ビートの一部には,意図的にテンサイと交雑させてできた品種があること(23)から,テンサイから二次的にOwen型ミトコンドリアDNAが家畜ビートに混入した可能性は捨てきれない.Achardが選抜に使った家畜ビートのコレクションを調べなくては正確な調査にはならない,という批判は免れない.

Chengらは,世界のフダンソウ(77品種,603個体)のミトコンドリアミニサテライトを調査し,フランスの1品種と,中国の2品種からOwen型ミトコンドリアDNAを発見している(16).

以上のように,テンサイに限らず栽培ビートの中にもOwen型ミトコンドリアDNAが分布している.家畜ビートはまだしも,ビーツやフダンソウのOwen型ミトコンドリアDNAも全てテンサイからの二次的な混入とするのは無理があり,Owen型ミトコンドリアDNAの起源は,栽培ビートの共通祖先までさかのぼることができよう.

一方で,テンサイのOwen型ミトコンドリアDNAと,その他の栽培ビートのOwen型ミトコンドリアDNAの関係について,確実なことはわからない.これは,テンサイという栽培植物が成立する過程に,未解明の問題があるからである(19).

野生ビート(Beta vulgaris L. maritima)におけるOwen型CMSについて,いくつかの報告例をあげる.米国GreatWestern Sugar CompanyのOldemeyerは,USDA保有の遺伝資源(34)から,いくつかの雄性不稔野生ビートを見出している(24).Mikamiらは,これらのうち6種についてミトコンドリアDNAを分析し,3種がOwen型ミトコンドリアDNAと同一であるとした(25).フランスの北部海岸に自生する野生ビートについて精力的な調査を行っているグループによれば,Owen型ミトコンドリアDNAを保持する個体が見つかるという(26).ただし,同地域はテンサイの栽培地域に近く,雑草化したテンサイと野生ビートの交雑によりOwen型ミトコンドリアDNAを持つに至った個体も見つかるという(27).以上より,野生ビートにOwen型ミトコンドリアDNAを持つ個体が存在するのは間違いないが,そのいくつかについてはテンサイからの二次的な混入が疑われる.

Beta属全体では,vulgaris種以外にOwen型ミトコンドリアDNAを持つ個体が存在するかどうかわからない.しかしながら,葉緑体DNA塩基配列多型(葉緑体も母性遺伝なので、ミトコンドリアとは連鎖不平衡にある)や,ミトコンドリアDNA塩基配列多型を指標にした解析は,いずれもOwen型ミトコンドリアDNAがvulgaris種の種内変異であることを示唆している(14, 28, 29,30).

Owen型ミトコンドリアDNAは,CMSを促す細胞質因子を持たないミトコンドリアDNAとはかなり構造が異なっている(31).それ故,同時多発的に,独立に全く同じミトコンドリアDNAが出現したとは考えにくい.今のところ,テンサイ,その他の栽培ビート,および野生ビートから見つかるOwen型ミトコンドリアDNAは,単一祖先に由来すると考えてよいだろう.すなわち,Owen型ミトコンドリアDNAは元々Beta vulgaris祖先植物に存在し,栽培種の多様化に伴って新たにできた集団の中に,紛れ込んでいったように見える.集団の中で複数の細胞質が維持される機構や,雄性不稔の適応度の問題は,未解明である(32).

引用文献

  1. 木下俊郎(1992)植物の雄性不稔性の遺伝と育種In: (原田宏監修,丸茂晋吾,木下俊郎,日向康吉,岡田吉美,藤伊正,鎌田博,佐藤忍編集)開花結実の分子機構.秀潤社,東京.pp.107-139.
  2. Bosemark NO (2006) Genetics and Breeding. In: (A.P.Draycott ed.) Sugar Beet. Blackwell Publishing, Oxford, UK. pp. 50-88.
  3. http://www.agri.hro.or.jp/chuo/kaihatsu/hatasaku/variety06.htm
  4. 田口和憲(2002)育種法.In: (北海道農業試験研究機関創立100周年記念行事記念誌出版委員会編)北海道農業技術研究史.北海道農業研究センター・北海道立中央農業試験場,札幌市・夕張郡長沼町.pp.84-86.
  5. 田中征勝(1998)テンサイ.In: (三分一敬監修,土屋武彦・佐々木宏編)北海道における作物育種.北海道協同組合通信社,札幌市.pp.197-218.
  6. 細川定治(1980)育種.In: 甜菜.養賢堂,東京.pp.91-127.
  7. 山田実(2007)序章.In: 作物の一代雑種.養賢堂,東京.pp. 1-7.
  8. Owen FV (1942) Male sterility in sugar beets produced bycomplementary effects of cytoplasmic and Mendelian inheritance. Am. J. Bot.29:692.
  9. Owen FV (1945) Cytoplasmically inherited male sterilityin sugar beets. J. Agr. Res. 71: 423-440.
  10. 今西茂,武田竹雄(1971)第5章 雄性不稔のO型選抜に関する実証的研究.In: てん菜研究報告第11巻.日本てん菜振興会,東京.pp.61-190.
  11. Powling A (1982) Restriction endonuclease analysis ofmitochondrial DNA from sugarbeet with normal and male-sterile cytoplasms.Heredity 49: 117-120.
  12. Powling A, Ellis THN (1983) Studies on the organellegenomes of sugarbeet with male-fertile and male-sterile cytoplasms. Theor.Appl. Genet. 65: 323-328.
  13. Nishizawa S, Kubo T, Mikami T (2000) Variable number oftandem repeat loci in the mitochondrial genomes of beets. Curr. Genet. 37:34-38.[遺伝子制御学の研究成果]
  14. Nishizawa S, Mikami T, Kubo T (2007) Mitochondrial DNAphylogeny of cultivated and wild beets: relationships among cytoplasmicmale-sterility-inducing and nonsterilizing cytoplasms. Genetics. 177:1703-1712. [遺伝子制御学の研究成果]
  15. Cheng D, Kitazaki K, Xu D, Mikami T, Kubo T (2009) Thedistribution of normal and male-sterile cytoplasms in Chinese sugar-beetgermplasm. Euphytica 165: 345-351. [遺伝子制御学の研究成果]
  16. Cheng D, Yoshida Y, Kitazaki K, Negoro S, Takahashi H,Xu D, Mikami T, Kubo T (2011) Mitochondrial genome diversity in Beta vulgaris L. ssp. vulgaris (Leaf and Garden Beet Groups)and its implications concerning the dissemination of the crop. Genet. Resour.Crop. Evol. 58: 553-560. [遺伝子制御学の研究成果]
  17. Yoshida Y, Matsunaga M, Cheng D, Xu D, Honma Y, MikamiT, Kubo T (2012) Mitochondrial minisatellite polymorphisms in fodder and sugarbeets reveal genetic bottlenecks associated with domestication. Biol. Plant. 56:369-372. [遺伝子制御学の研究成果]
  18. 細川定治(1980)起源と歴史.In: 甜菜.養賢堂,東京.pp. 1-12.
  19. http://www.agr.hokudai.ac.jp/ikushu/gelab/tameninarukamo.html
  20. Bonavent JF, Bessone L, Geny A,Berville A (1989) A possible origin for the sugar beet cytoplasmic malesterility source Owen. Genome 32: 322-327.
  21. http://www.agr.hokudai.ac.jp/ikushu/gelab/beets.html,http://www.agrofrontier.com/guide/t_100j.htm22.
  22. Kloen D (1964) On the occurrence of male sterility inwest-European fodder and sugar beets. Euphytica 13: 268-272.
  23. Biancardi E, Panella LW, Lewellen, RT (2012) Fodder BeetIn: Beta maritima. Springer, New York, USA. pp. 230-232.
  24. Oldemeyer RK (1957) Sugar beet male sterility. J. Am.Soc. Sugr Beet Technol. 9: 381-386.
  25. Mikami T, Kishima Y, Sugiura M, Kinoshita T (1985)Organelle genome diversity in sugar beet with normal and different sources ofmale sterile cytoplasms. Theor. Appl. Genet. 71: 166-171.
  26. Laporte V, Viard F, Bena G, Valero M, Cuguen J (2001)The spatial structure of sexual and cytonuclear polymorphism in thegynodioecious Beta vulgaris ssp. maritima: I/ at a local scale. Genetics157: 1699-1710.
  27. Fenart S, Arnaud JF, De Cauwer I, Cuguen J (2008)Nuclear and cytoplasmic genetic diversity in weed beet and sugar beetaccessions compared to wild relatives: new insights into the geneticrelationships within the Beta vulgaris complex species. Theor. Appl. Genet. 116: 1063-1077.
  28. FenartS, Touzet P, Arnaud JF, Cuguen J (2006) Emergence of gynodioecy in wild beet (Beta vulgaris ssp. maritima L.): a genealogical approach using chloroplasticnucleotide sequences. Proc. R. Soc. B. 273: 1391-1398.
  29. DarracqA, Varré JS, Maréchal-Drouard L, Courseaux A, Castric V,Saumitou-Laprade P, Oztas S, Lenoble P, Vacherie B, Barbe V, Touzet P (2011) Structuraland Content Diversity of Mitochondrial Genome in Beet: A Comparative GenomicAnalysis. Genome Biol. Evol. 3: 723-736.
  30. Hallden C, Lind C, Sall T, Bosemark NO, Bengtsson BO (1990) Cytoplasmic malesterility in Beta is associated withstructural rearrangements of the mitochondrial DNA and is not due tointerspecific organelle transfer. J. Mol. Evol. 31: 365-372.
  31. Satoh M, Kubo T, Nishizawa S, EstiatiA, Itchoda N, Mikami T (2004) The cytoplasmic male-sterile type and normal typemitochondrial genomes of sugar beet share the same complement of genes of knownfunction but differ in the content of expressed ORFs. Mol. Genet. Genomics272:247-256.[遺伝子制御学の研究成果]
  32. Touzet P (2012) Mitochondrial genome evolution and gynodioecy. In: (L.Marechal-Drouard ed) Mitochondrial Genome Evolution (Advances in BotanicalResearch Vol. 63). Academic Press, Oxford, UK. pp. 71-98.

(補遺)

Goldman & Navazio [33]によれば、テンサイのシステムを導入してビーツのハイブリッドを育成するプロジェクトがアメリカで行われていたそうである.そのため、Owen型CMSをビーツに導入したそうだが、これは1950年代以降のことである.一方、BonaventらがOwen型CMSを発見した‘Crapaudine’は、少なくとも1881年には既に品種として記録されているという[20].

  1. Goldman IL, Navazio JP (2008) Table Beet. In: (J.Prohens and F. Nuez eds) Vegetables I: Asteraceae, Brassicaceae,Chenopodiaceae, and Cucurbitaceae. Springer, New York , NY. pp. 219-238.

(補遺2)

  1. Bosemark NO (1998) Genetic diversity for male sterilityin wild and cultivated beets. In: (L. Frese, L. Panella, H.M. Srivastava, W.Lange eds) International Beta geneticresource network (International Crop Network Series. 12). International PlantGenetic Resources Institute, Rome, pp. 44-56.