** 私の一言 [#s7971760]
 ちょっと長いですが、お付き合い下さい。我が国の「古参」の造林学研究室にて、その講義を行っているが、毎回、本当に難しいと感じている。初年度一緒に講義を盛り上げて下さった当時の大学院生・北方生物圏フィールド科学センター研究員諸氏の参加に、そして講義の方針((&ref(造林目次06.pdf);)を作成する際に相談に乗ってくれた当時の3年生の皆さんに感謝している。この造林学を講じるに当たり辿ってきたことを紹介することで、伝統有る北海道の造林学の発展に寄与したい。なお、私の研究と教育経歴は寺澤実名誉教授のご指導のもとに、林学・林産学同窓会誌シルバ(73:49-51,2006)に「森林資源生産の明日を目指して」という題名で掲載させていただいた(&ref(シルバ原稿06.pdf);)。
 ちょっと長いですが、お付き合い下さい。我が国の「古参」の造林学研究室にて、その講義を行っているが、毎回、本当に難しいと感じている。初年度一緒に講義を盛り上げて下さった当時の大学院生・北方生物圏フィールド科学センター研究員諸氏の参加に、そして講義の方針((&ref(造林目次06.pdf);)を作成する際に相談に乗ってくれた当時の3年生の,TK,KRさん等に、そして半期に渡る改訂作業にも付き合ってくださった専攻生(+HI,TU, KHさん)に感謝している。生の声をこの造林学を講じるに当たり辿ってきたことを紹介することで、伝統有る北海道の造林学の発展に寄与したい。なお、私の研究と教育経歴は寺澤実名誉教授のご指導のもとに、林学・林産学同窓会誌シルバ(73:49-51,2006)に「森林資源生産の明日を目指して」という題名で掲載させていただいた(&ref(シルバ原稿06.pdf);)。
 #contents
 - 造林学の認識~
 1977年に初めに習った造林学は、「造林ハンドブック」そのものであった(それに加え、朝倉の「造林学」・・・全国の造林学担当教員による分担、地球社の「新造林学」・・・九州大学造林学教室の佐藤敬二教授退職記念出版、からの引用もあった)。しかし、納得できなかった。そのお陰かも知れないが、納得のいく造林学を模索した。中村賢太郎教授の「育林学」も読んだ。しかし、一番、理解しやすかったのは(自らの志向に依るのだろうが)、1954年刊行の朝倉の「育林」(佐藤大七郎著)であった(その後、退職後に文永堂から同名のテキストが刊行された)。1983年の「育林」も物質生産の生理生態学を基礎に、1.育林学の対象と方法、2.森林、3.林木の生育と環境、4.森林の代がわり、5.林の手入れ、の構成である。この流れは一貫して変わっていない(変わってはいけない)。私の造林学の原点である。
 
 - 林木学から樹木生理生態学へ~
 林木学は、東京農工大学環境・資源学科の森林科学専攻の講義の1つであり、造林系の科目として、森林生態学→林木学→森林施業論と続く科目の一環であった。林木学の講義は「樹木の集団を対象にする」ことが特徴であった。しかし、林業試験場を意識し「儲ける林業」を指向した講義は不評で、同じ学科の環境系の友人、伊豆田先生のアドバイスを基に林学科の講義から環境・資源学科の講義を意識した(この成果を[[「植物と環境ストレス」>http://www.coronasha.co.jp/np/detail.do?goods_id=2137]]の一章としてまとめた。)。この他に、熱帯林管理論、森林土壌学が用意されていた。改組後、地域生態システム学科の2年次後期専門科目として「[[樹木生理生態学>http://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-47037-6/]]」が開講された。
 林木学は、東京農工大学環境・資源学科の森林科学専攻の講義の1つであり、造林系の科目として、森林生態学→林木学→森林施業論と続く科目の一環であった。林木学の講義は「樹木の集団を対象にする」ことが特徴であった。しかし、林業試験場を意識し「儲ける林業」を指向した講義は不評で、同じ学科の環境系の友人、伊豆田先生のアドバイスを基に林学科の講義から環境・資源学科の講義を意識した(この考え方を[[「植物と環境ストレス」>http://www.coronasha.co.jp/np/detail.do?goods_id=2137]]の一章としてまとめた。)。この他に、熱帯林管理論、森林土壌学が用意されていた。改組後、地域生態システム学科の2年次後期専門科目として「[[樹木生理生態学>http://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-47037-6/]]」が開講された。
 -- よく考えると、人為をほとんど加えることができず、自然環境の中で資源生産を行う体系である林学(造林学)は、環境問題を無視しては成立し得ないし、成長に長年月かかる樹木の成長に期待する生物生産学であるので、[[持続的な森林管理>http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~a11277/SGP]]を行ってきた。従って、~
 「酸性雨問題とは地力維持の課題であり、温暖化対策とは、林分成長量の向上に関わる管理技術の高度化である。」今更と思うが、森林の環境問題と造林学は同義であると考えている。
 
 - 森林動態学と・森林保護学への貢献?~
 大学院に新設された森林動態学分野(北方森林保全学講座)では、老舗・造林学との違いを示す必要があった。動態の基礎は物質生産であり、森林域に於ける遷移の各場面に於ける成長制御が主題であろう。主に無機環境と樹木の成長を、変動環境(CO2増加に伴う温暖化と酸性雨影響)のもとでの樹木の成長を追求してきた。~
 大学院に新設された森林動態学分野(北方森林保全学講座)では、老舗・造林学との違いを示す必要があった。森林動態の基礎は物質生産であり、森林域に於ける遷移の各場面に於ける成長制御が主題であろう。主に無機環境と樹木の成長を、変動環境(CO2増加に伴う温暖化と酸性雨影響)のもとでの樹木の成長を追求してきた。~
 -- 一方で、北大演習林の分担科目として森林保護学があった。私は、農工大学時代に北大低温研・生物多様性分野の大串隆之さん(現・京大生態研セ)の研究に参加させてもらい、農学部・生態化学の田原哲士先生らとも「生物間相互作用」に関するプロジェクトの分担者として、被食防衛機構の研究に参加した。その経緯から、森林保護学の昆虫関係を講じることになった。この科目は生物資源科学科の「樹病学」の流れと大学院大学の環境資源学専攻始動に伴い講義数の調製がなされた結果、森林病理学の講義を取りこみ、現在の森林保護学の講義に至る(&ref(森林保護学1.pdf);)。しかし、内容は被食防衛に偏っている面もあるので、「正当な森林保護学」は岸洋一・東京農工大学名誉教授の講義を基礎に作成した資料を用意した(&ref(森林保護学2.pdf);)。さらに、北大OB(園芸緑地出身)の環境省の[[小野寺浩局長>http://eco.goo.ne.jp/business/keiei/keyperson/41-2.html]]の尽力による[[新・生物多様性国家戦略>http://www.biodic.go.jp/nbsap.html]];も意識している。単に、マイナス面を引き上げるだけではなく、積極的に森林の健全性と活力を補償する方向を目指す鈴木和夫編著[[森林保護学>http://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-47036-9/]]を意識している。
 
 - 造林学、そして森林美学の講義~
 造林学の骨子は、上述の佐藤大七郎著「育林」1983年と原田泰博士の1954年刊行「森林と環境」−森林立地論−に大きな影響を受け、Barnes, B.V. et al. '''Forest Ecology 4ed.'''(John Wiley & Sons), Smith, D.M. et al. '''The Practices of Silviculture  9ed.''' (John Wiley & Sons)、そして、藤森隆郎著「新しい森林管理」(日本林業調査会、2003)を主な参考書として作成した(&ref(造林目次06.pdf);)。~
 &ref(原田泰.jpg);
 -- 原田泰博士(帝室林野局・北海道林業試験場長)の博士論文「林学領域ニ於ケル陽光問題ト是ニ関係スル二・三の環境因子ニ関スル研究並ニ育林上ノ処置ニ就テ(其ノ1-2)」を基礎に書かれた「森林と環境」越えることはできるのか。この本には、UCのBakerの影響は大きい(我が講義録も影響を受けている。 Danel, T.W., Helms, J.A., Baker, F.S. '''Principles of Silviculture''' McGraw-Hill)。~
 -- 新島教授の教育方針と卒業生・佐藤義夫教授の博士論文の研究「えぞまつ天然更新上ノ基礎要件ト其適用」1928年10月31日(東北帝国大学農科大学・博士論文(林学博士)は、研究室の原点である。~
 
 - 森林美学は難解である。1918年に新島教授と村山氏による[[森林美学>http://www.hup.gr.jp/details/ISBN4-8329-9301-1.htm]]に続き、今田敬一教授によって1934年に集大成された(北大演習林研究報告9(2)1-)。その後、今田先生の直弟子、造林OB・伊藤精晤・信州大学名誉教授によって[[森林風致計画学>http://www.buneido-syuppan.com/nougaku.html]]として今日的展開を示した。北大では、林政学の小関隆祺教授、造林学の五十嵐恒夫・高橋邦秀教授によって「森林美学及び景観生態学」として継承された。その後、森林美学+景観生態学として、[[中村太士教授>http://www.agr.hokudai.ac.jp/formac/forman/]]によって景観生態学としての側面が強調された。森林美学は森林経営学の色彩が強いとの解釈から、森林経理学の影響を北大第一基本林(現・雨龍研究)林長であった秋林幸男博士が講じ、今日的展開を模索している(&ref(森林美学の目次.pdf);)。~
 --森林美学の講義の準備をしていた最中に、姉妹校・ミュンヘン理工科大学のMarkus Schaller博士から2005年1月に、まさに'''「森林美学−副題:森林科学、自然保護そして人々の魂のために」'''(訳語)なるテキストがドイツで刊行されたことを紹介された。[[Waldaesthetik>http://www.directshopper.de/9783935638555-Waldasthetik-Stolb--Wilhelm--Landschaftsgestaltung-Naturschutz-Waldbesucher-Holz-Nutzu_Allgemeines--Lexika_p]]がそれである。新島教授等が講じてきたテキストはForstaesthetikとの大きな違いは、もともとは'''Forst'''(=人工林・施業林)の美学であったが、現在では、'''Wald'''(=自然林・天然生林)の美学と展開した点である。林野庁でも関心を寄せている[[フォレスト・スケープ(堀繁ら)>http://www.ringyou.or.jp/forest-scape.htm]]の実践の書である「森林の景観整備」(由田幸雄編集;福島森林管理署刊行)を参考に、その体系を模索している。
 
 ** 目標の名言 [#ga1e8074]
 「迷った時は、原点に帰れ」の言葉通り、初代教授・新島善直博士の資料を「北のヤシの木」・黒松内町監修からひもとくことにした。以下に新島教授の系譜を黒松内のブナセンターの展示から紹介する。教授の肖像と森林昆虫学の調査道具である。~
 &ref(新島教授肖像.jpg);     &ref(新島教授ハサミ.jpg);~
   
 - 新島教授が座右の銘としたとされる銘文を紹介しよう。~
 --「森林家は森林を愛するものではならぬ。森林家は視察力を鋭敏にせねばならぬ。日本の森林は常に林学のみでなく、万有学、普通学に重きを置いて林木と土地気候との関係を明らかにせねばならぬ。」 
   ・・・ドイツ人教師・Heinlich Meil教授・東京農林学校予科−~
 - そして、新島教授の言葉、「森林をどのように再生するか、自然をどのように残すか」。~
 
 - 天然林の保護
 - 天然林の保護~
 「学術上の必要は別にしても、ただ人が自然の美を楽しむために、天然のままの林、すなわち”原生林”を保存する必要がある。」 大正3年(1919年)史跡名勝天然記念物調査会委員に就任された新島教授は、後志地域の踏査を行い、歌才ブナ林を眺めた時「まるで北のヤシの木だ」と評した。大正12年(1937)10月「後志国歌才ぶな原生林」を保存林と定めた・・・[[ブナ・センター>http://www.host.or.jp/user/bunacent/]]~
 
 - 森林教育への情熱~
 大正13年(1924年)に千島列島へ調査に向かう途中、根室半島の風蓮湖の湖畔にて「こんな所で児童のために林間学校を営むことができたらどんなに喜ぶだろう。」これが、森林環境教育への本格的取り組みの始まりであった。もちろん熱心なキリスト教徒であった新島教授は児童教育の重要性を最も理解し「野幌の森の林間学校」を企画した。手始めに、一般市民を対象に1週間にわたってテント生活を送り、文化講演会、林内視察、動植物採集、音楽会を楽しむという内容であったという。この「林間夏期大学」に自信をつけた新島教授は、「野幌林間学校」を開催し「林間学校たより」として、その内容を紹介した。大正15年の夏のことであった。
 

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私の一言 のバックアップ差分(No.9)