先端研究拠点事業「シベリアタイガ永久凍土地帯における環境変動の兆候の広域評価」の紹介

波多野隆介

事業の概要と目的

本事業は平成17年度日本学術振興会先端研究拠点事業・拠点形成促進型(17001)として採択された。北海道大学北方生物圏フィールド科学センターを拠点機関部局に、北海道大学内では農学研究院、低温科学研究所の研究者が関わり、協力機関として日本大学、東京農工大学、首都大学東京、酪農学園大学、森林総合研究所が参画している(http://www.agr.hokudai.ac.jp/env/ctc_siberia/)。
本事業では、ドイツのマーティンルター大学土壌植物栄養学研究所のゲオルグ・グッゲンベルガー教授をコーディネータとし、ゲッチンゲン大学、イェナ大学、ハンブルグ大学、キエル大学、マックスプランク生物地球化学研究所、アルフレッド・ウェゲナー研究所を協力機関とするグループと共同で、シベリアタイガの永久凍土地帯の環境変動についてその証拠を明瞭にし、広域評価をめざすために企画されたものである。IPCC(2001)の第3次評価報告書では、永久凍土地帯は今後100年の間に最も気候変動の影響をうける地帯と推察されており、その実態調査を進めていく必要性を示している。私たちは、独自に過去10年にわたり、シベリアのカラマツタイガ地帯の炭素、窒素の循環および温室効果ガス収支に関する研究を行ってきた。北海道大学は東シベリアのヤクーツクの極寒冷地生物問題研究所および永久凍土研究所のグループと共同研究を行ってきた。森林総合研究所のグループは中央シベリアのクラスノヤルスクの森林研究所と共同でツラにおいて研究を行ってきた。ドイツのグループはやはり、クラスノヤルスクの森林研究所と共同で、北方のイガルカで研究を行ってきた。それらの研究機関の先行研究の成果を情報交換し、広域評価の研究に発展させるためのプラットフォームを形成することを目指している。
先端研究拠点事業の特徴は、先進15カ国の研究機関が、国際的に重要な研究テーマについて、共同研究、研究者交流、セミナーを通して研究情報を交換し、当該研究の国際ネットワークを発展させる活動を通して若手研究者の育成を図っていくところにある。私どもの研究の発展によく合致した事業であり、やりがいのある仕事と感じている。

作業仮説

シベリアの環境変動は、IPCC(2001)が述べるように地球環境にとって極めて重要な位置づけにあるにも関わらず、シベリアが広大にすぎ、ロシア国の事情もあり、思ったようにはなかなか研究を進めることのできないテーマである。そのような中、北海道大学では、高橋邦秀教授、福田正巳教授らの尽力があり、ヤクーツクに拠点を築いてきた。森林総合研究所でも、松浦陽次郎氏を中心に環境省地球環境総合推進費等の資金を用いて中央シベリアのツラに拠点を作ってきた。それらの基礎となっているのは、永久凍土とカラマツ林の存在そのものを明らかにするための研究成果である。シベリアは年間降水量が500mm以下と本来草原となるほどに降水量が少ない地域である。しかし、ほとんど白夜となる夏期間には、永久凍土が融解し、その水分が植物に供給される。しかし、なぜかカラマツだけが広大なタイガを形成している(写真1)。その理由の一つとして、高橋教授は、森林火災を上げている。カラマツタイガの地表面には、落葉が厚く堆積している。カラマツは落葉樹だからである。森林火災が生じると、その落葉のために、地表火となる。しかし、カラマツの幹もあぶられるが、大変厚い表皮をもつため、その幹が焼け落ちてしまわないのだという(写真2、3)。他の樹木が焼けてしまっても、カラマツは残っていく。稚樹の発芽のさまたげになる地表面の落葉は消失し、かつ灰には養分が含まれており、稚樹へ供給される。森林火災は、カラマツタイガと永久凍土の共生関係を維持する駆動力のひとつと言えるのである。そのような関係を裏打ちするために、植物の生長、土壌の肥沃度に関わる事項が研究され、カラマツタイガ生態系の炭素循環の解明のために、土壌と植物への炭素集積量や速度が測定され、炭素集積を促進する窒素循環の研究も進められてきた。


写真1.シベリアタイガ

写真2.シベリアの森林火災

写真3.厚いカラマツ表皮と森林火災の痕跡

ところが、カラマツタイガのなかには湿地が多く点在している。この湿地は永久凍土が溶解して生成したもので、サーモカルストと呼ばれる。サーモは熱を意味し、カルストは石灰岩が長い時間をかけて地下侵食を受け陥没した地形をいう。すなわち、熱バランスが氷を融解する方向に傾き、とうとう地表面が陥没した地形をサーモカルストというのである。その生成年代は、一般に10000年前におよぶとされている。ヤクーツク極寒冷地生物問題研究所のデスヤトキン副所長によれば、ヤクーツクには、10000個を超えるサーモカルストがあり、池が干上がり小さくなって周囲が草原化したものをとくにアラスと呼んでいる(写真4、5)。内陸にあって淡水を供給し、家畜に牧草を供給する場所として大事にされており、その一つずつに名前がついている。アラスは自然に生成したものではあるが、森林が破壊された結果生じたものと漠然と位置づけられている。ところで、湿地からは、メタンが発生する。メタンは二酸化炭素より21倍、温暖化のポテンシャルが強い温室効果ガスである。日本には水田が多くあるので、メタン発生に関する研究は古くから進んでいた。アラスの湿地からのメタンの発生量を測定したところ、それは日本の水田に匹敵するほどであった。このような基礎研究をあわせて見ると、森林の攪乱により永久凍土が破壊されると、サーモカルストが生成し、それが森林の再生を半永久的に妨げ、メタンを発生させ、環境変動を促進するという、仮説が生れてくる。事実、ヤクーツクには森林を50年前に開墾された農地が、陥没し池になってしまっている場所がある。そのような考えを抱いているところへ、IPCCは、気候モデルの結果を示し、永久凍土地帯が気候変動により大きな影響をうけることを予察してきたのである。


写真4.アラス

写真5.タイガに分布するアラス群

事業立ち上げの経緯と活動状況

この10年間の高橋教授、福田教授らによるシベリアプロジェクトには、本事業にも参加している首都大学東京の中野智子氏、酪農学園大学の澤本卓治氏、森林総研の森下智陽氏が博士課程学生として参加し、学位を取得した。また、東京農工大学の木村園子ドロテア氏は、流域レベルで農業生態系の管理を行うための地理情報システムの構築を通して、広域評価へ対応する研究で、北海道大学で学位を取得し、直ちに本事業へ参加した。酪農学園大学の保原達氏は、クラスノヤルスクでの森林生態系の物質循環の研究も含めて京都大学で学位を取得し、本事業に参加した。このような若手研究者が多く育ってこそ、次の研究への展開があることを実感している。本事業には平成17年度は3名の博士課程の学生が参加し、平成18年度には5名の学生が参加を希望している。

ドイツのグッゲンベルガー教授は、土壌有機物の化学組成の一人者であるが、私は、シベリアにおける研究を推進されているとは思っていなかった。ところが、同教授のところへ留学していた日本大学の川東正幸氏と2003年度日本土壌肥料学会でお会いしたところ、ドイツのグループもシベリア研究を動かし始めたことを知った(写真6)。川東氏はグッゲンベルガー教授とともに、クラスノヤルスク、ツラ、イガルカを通り、北極海に流下するエニセイ川の水質調査を行い、緯度が上がるにつれ溶存有機物の組成が変化することに気づいた。河川は凍土の融解水分により形成されているが、融解水に溶存して流出する土壌有機物は凍土融解が浅い北部ほど多く、融解が進む南部では、溶存有機物量は土壌中に深く浸透するため下層土に保持されて、河川に出にくくなっていると推察した。すなわち、永久凍土の溶解の程度が河川水質に大きな影響を与えることを意味している。同氏らは、永久凍土の溶解の原因をさらに広域に評価するべきだと考え、共同研究のために本事業への応募を打診してこられたのである。モデルによる予測が進むにつれ、モニタリングによる広域評価の重要性は高まっているが、広大なシベリアを一グループでカバーすることは不可能である。永久凍土の融解と環境変動を結びつける絶好のチャンスだと思い応募書類を作成した。


写真6.

平成16年10月の申請後、直ちにグッゲンベルガー教授から平成17年3月にクラスノヤルスクの森林研究所でワークショップを開催したい旨の連絡を頂き、出かけることにしていたところに、学振から2月18日にヒヤリングを行う旨の連絡をうけた。そしてヒヤリングの2日前の2月16日に京都議定書が発効したとのニュースが流れた。採択通知は、3月11日、ちょうどクラスノヤルスクに出かける直前にいただいた。クラスノヤルスクワークショップは平成17年度の計画を立てるのに、大いに役立ったことは言うまでもない。さらに、ちょうど、クラスノヤルスクの森林研究所と北海道大学北方生物圏フィールド科学センターとの間で、学術協定の締結の話があり、ワークショップ期間中に、私がセンター長代理として、所長にお会いし、調印に立会わせていただいたことも、この事業をスムーズにスタートさせることができた大きな要因であったと思う。

平成17年11月29日から30日に札幌でシンポジウムを開催した。ドイツからグッゲンベルガー教授以下4名の参加をいただき、ヤクーツク、クラスノヤルスク、ノボシビルスクから4名のロシア人研究者を招聘し、北海道大学に在籍している2名のロシア人研究者も参加して、シベリアの環境変動の兆候について議論を行った。全部で71名の参加者があった。シンポジウムでの議論を通して、森林の攪乱と永久凍土の破壊は関係があるが、森林火災が永久凍土を破壊しているとの十分な証拠はないということ、その関係の把握を各サイトで今後重点的に行い、比較するとともに、永久凍土の南限域での比較研究が必要であるとの認識を得た。短期的な環境変動と長期的な環境変動をどのように捉えていくかが今後の課題である。シンポジウムの論文集は北大図書刊行会から出版された(Eds R. Hatano and G. Guggenberger, Symptom of Environmental Change in Siberian Permafrost Region, Hokkaido University Press, ISBN4−8329−0342−X)。永久凍土の南限域の比較のために、平成18年度には新たにアムール州ブラガベシェンスクに研究サイトを立ち上げつつある北海道大学大学院農学研究院の小池孝良教授の本事業への参加をいただき、その展開を確固たるものにするために、当地でシンポジウムを開催する。日本、ドイツ、ロシア人研究者とともに、韓国からの参加希望も届いており、その枠組みの広がりが伺える。

しかし、不運なことに、ロシア国内法の改正により、現在土壌試料の持ち出しが困難な状況となっている。いろいろ調査をしているが、許可を受けるための申請方法さえいまだ不明瞭である。その打開のために、ロシア国内で分析を行えるようにしていこうとしている。ドイツグループともよく連絡を取って進めたい。いくつかの不安定な要素があるが、万難を排して事業を展開したいと考えている。今後とも、皆様方の一層のご指導、ご鞭撻を心からお願いしたい。

波多野隆介(はたのりゅうすけ)
北海道大学大学院農学研究院 教授

Introduction to the JSPS Core to Core program on “Upscaling the evaluation for the symptom of environmental changes in permafrost area in Siberian Taiga”