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第6章 性とそれにまつわる現象の進化

6・1 性とは何か

 前の2章では主に動物の行動をあつかったが、この章では生物一般に広く見られる性とそれに関連する現象の進化を考える。ただし、行動の研究と異なり、性の進化に関する理論はまだ仮説段階のものがほとんどで、十分に実証されているとはいえないものが多い。従って、これからの話の内容も、性の進化に関してはこのような仮説が考えられている、という紹介として読んでいただきたいが、個々の仮説に関しては論理的な裏づけがあるわけで、決してあり得ないでたらめを言っているのでないことはいうまでもない。

 ご存じの通り、人間には男と女という性がある。また、我々がよく知っているイヌ、ネコ、トリ、ワニ、カエル、サカナ、カブトムシなど、ほとんどの動物にもオス、メスという性がある。また、多くの植物は花を咲かせる。花は植物の生殖器官であり、オスの役割をする雄しべとメスの役割をする雌しべが1つの花の中に両方存在していたり、雄花と雌花に別れていたり、あるいは雄株と雌株に別れていたりという違いはあるにしても、やはり性を持っている。ことほどかように「性」というものは生物界に普遍的に存在し、我々にとってなじみ深い生物現象である。しかし、いったい「性」というのはどういうことなのであろうか?性をもつ生物と、性を持たない生物の差は何であり、性を持つことがその生物にとって進化的にどういう意味を持つのかというところから考え始めよう。

 では、性を持たない生物とはどんなものだろう。地球上には性を持たない生物もたくさんいる。代表的なのはバクテリアと呼ばれる生物の一群である。バクテリアはいわゆる「細菌」と呼ばれているもので、細胞壁と細胞膜に包まれた細胞質内にひも状のDNAが浮かんでいるだけ、という非常に単純な構造の単細胞生物である。彼らの増殖パターンもまた単純だ。まず、細胞質内に浮かんでいるDNAがコピーされ、その後、2つのDNAの間の細胞質に新たな細胞膜と細胞壁が作られて2つの新たなバクテリア細胞が生じるのだ(図6・1参照)。このようにしてできた2つのバクテリアは互いに全く同じDNA配列を持った互いのクローンであるといえる。もとのDNAをコピーするときに突然変異が生じない限り、2つのDNAは全く同じものになるはずだ。このような増殖のしかたは無性生殖とよばれ、性がない増殖の仕方である。性のない生物は、何世代を重ねようとも生まれてくる子孫は先祖の全くのコピーであり、突然変異で生じた以上の遺伝的な差は全くないことになる。ただし、実際には、バクテリアでも2つの細胞が互いに細胞質を交換するような現象が知られており、その時に、プラスミドと呼ばれる、小さな環状のDNAを交換したりすることがわかっている。有名なO157型病原大腸菌が作る毒素は、赤痢菌の毒素を作る遺伝子が、毒素を作らない大腸菌にプラスミド経由で移ったものと考えられているのだ。従って、現実にはバクテリアといえども、遺伝子の一部を他個体と交換することはあり得ることになる。

 次に、性をもつ生物の場合を見てみよう。人間などの2倍体の有性生殖生物では、精子や卵子などの配偶子を作るときに、減数分裂という特別な細胞分裂が起こり、2セット持っているゲノムDNAのうち、1セットのみが各配偶子に分配される。そして、受精がおこるときに、2つの配偶子が融合するため、子どもは再びゲノムDNAを2セット持つようになる(図6・1参照)。このような有性生殖では、生まれた子供のもつ2セットのゲノムDNAのうち半分は自分が交配した相手のDNAなので、親から見て子供は自分のコピーではなく、自分の持つDNAの半分しか持っていない。第5章で触れた血縁度でいえば親子間の血縁度は0.5であることになる。ここが無性生殖と有性生殖の最大の違いである。一言でいえば、有性生殖とは、生物が子孫個体を作るときに、他個体のDNAをまぜて子孫を作るような生殖法であるといえる。当然、無性生殖では親子はクローンであり、親子間の血縁度は1になるが、有性生殖では他個体の遺伝子を混ぜるので、必ず1より小さくなる。最近、クローン羊ドリーというのが話題になったが、これは、本来決して自分のクローンを作らない有性生殖生物で人工的にクローン個体を作り出したのが画期的だったのである。

 ここから進化の話に入っていくが、自然選択は適応度の高い個体が残るように働き、適応度とは次世代の個体中に伝えた自らの遺伝子のコピー数のことであった。そのことを念頭に置いて有性生殖の進化を考える。一番はじめの生物は無性生殖だったはずなので、無性生殖の個体しかいないところに、最初の有性生殖個体が現れたはずである。2つの生殖タイプの適応度を比べてみよう。理解しやすいように、2つのタイプが1匹ずつ子どもを残すとすると、無性生殖個体は自分のもつすべての遺伝子のコピーが次世代に伝わるのに対し、有性生殖個体は半分しか伝わらないことがわかるだろう。つまり、どちらも同数の子を残すとすれば、有性生殖タイプは無性生殖タイプの半分の適応度しか残せないことになり、自然選択によりたちまち集団から消えていってしまうだろう(図6・2参照)。では、有性生殖タイプが進化できる条件はなんだろうか。第5章の血縁選択のときと同様に考えれば、有性生殖タイプは子孫との血縁度が無性生殖タイプの半分なのだから、有性生殖になることで、残せる子孫数が、無性生殖タイプの2倍より大きくなれば、有性生殖タイプの適応度の方が高くなり、集団中に侵入できることになる。つまり、有性生殖はもともと無性生殖に比べて子どもとの血縁度が半分しかないために、繁殖成功が2倍以上ないと進化できない、という非常に進化しにくい形質であると考えられるのだ。このことを、「有性生殖の2倍のコスト」といったりもする。しかし実際は、有性生殖はバクテリア以外の真核生物では普遍的な繁殖法であり、無性生殖の種の方がはるかに少ないのだ。従って、有性生殖には2倍のコストを克服する何らかの有利な点があるはずである。以下に、その有利さとして考えられている仮説をあげていくことにする。


6・1・1 物理的な環境変動に対する保険仮説
 生物の生息環境が選択圧として働き、その環境でもっとも効率よく振るまえるものを選んでいくとき、適応進化は起きると考えられる。従って、一定の選択圧のもとではそれに最適な遺伝子型の個体が進化していく。ところが、環境はいつも一定ではない。歴史的な時間スケールで考えれば、氷河期があったり乾燥期があったりして環境は変動している。このような場合、ある環境に最適な個体が、環境が変化したときにも最適だとは限らない。変わり続けていく環境の中で、じぶんの子孫がうまく生存していくためには、子孫個体の中に様々な環境に対応できるような形質の変異(=遺伝的変異)を持たせる方が有利になるはずだ。そうすれば、環境変動に対して子孫のうちのどれかはうまくやっていくことができるだろう。すでに説明したように、有性生殖では子孫を作るときに他個体の遺伝子セット(ゲノム)を半分混ぜるため、子孫中の遺伝的多様性ははるかに高くなる。したがって、将来の環境変動に対する保険として、有性生殖の方が無性生殖より有利になるのだ、というのがこの仮説である。

 この仮説は、たいがいの生物学の本に、性が存在する理由としてあげられている。非常に高名な生物学者の書いた著書にもこの仮説はよく見受けられる。しかし、論理的に考えてみたとき、この仮説の信憑性はそんなに高いものなのだろうか?この仮説では、自分の子孫集団中にできるだけ遺伝的多様性があった方が、環境変動に対して子孫集団の絶滅確率が下がるので有利だ、と考えている。すなわち、自然選択の働くレベルを「集団」においている。このこと自体は必ずしも誤りではない。第5章で見たように、個体の形質が、集団レベルに働く自然選択(=複数レベル選択)によって進化することもあり得るからである。同時に、この仮説は、有性生殖による子孫集団中の遺伝的変異の存在を、将来の環境変動に対する適応としてとらえている。実はこちらが問題である。考えてみればすぐにわかることだが、自然選択は、”いま”集団中に存在している個体の間に働く。とすれば、この仮説で考えている有性生殖個体は、同時に存在する無性生殖個体との競争に”いま”勝てなければ集団中に広がることはできないのだ。ここで、2倍のコストが大きく効いてくる。仮に、すべての個体が有性生殖する集団中に無性生殖個体が現れるという、今考えているのとは逆の事態を想定しても、1世代当たり適応度に2倍もの差があれば、ほんの数十世代で無性生殖個体が集団全体を占めてしまう。ましてや、無性生殖集団中に有性生殖個体が現れても、長い時間スケールの環境変動に対する有利さだけではとても広まることはできないだろう。つまり、有性生殖による遺伝子混合が2倍のコストを克服するためには、2倍の適応度の差を埋め合わせる有利さがわずか1〜2世代という非常に短い時間中に現れなければならないことになる。このように考えると、この「将来への保険」仮説はもっともらしいように見えてもあまり現実的にはありそうもない。もちろん、この仮説が想定する有利さは確かに存在する。しかし、それ単独で2倍のコストを乗り越えられるとはとても考えられない。Maynard Smith (1978) のシミュレーション解析によると、物理的環境のみを非常に激しく変動させても有性生殖は2倍のコストを克服できなかった、という結果が得られている。物理的環境に変動のみではダメなのである。したがって、この保険仮説は広く流布されている割には信憑性の低い仮説である。



6・1・2 病原体とのいたちごっこ:赤の女王
 前節で、有性生殖の環境変動に対する有利さを検討したが、その結果わかったのは、有性生殖の有利さは、非常に短い時間に環境(=選択圧)が変動する場合には、2倍のコストを克服できるかもしれない、ということだった。しかし、そんなことがあり得るのだろうか。そのような状況として考え出されたのが、有性生殖は、物理的環境の変化ではなく生物的環境の変化に対する適応として、具体的には病原体の感染から子孫を守るために進化したという説だ(ハミルトン、198?)。

 病原体が生物の体内に侵入し、組織をおかすときに、その組織に特異的なタンパク質を手がかりにして侵入することが知られている。たとえば、悪名高いエイズウィルスは標的であるTリンパ細胞に侵入するとき、Tリンパ細胞の表面だけにある特異的なタンパク質によって目標の細胞を認識している。タンパク質はそのアミノ酸配列によって決まる特異的な立体構造を持っているので、病原体はその立体構造を見分けて、自分の目標となる組織を認識するわけだ。タンパク質はすべて特定の遺伝子のDNA配列によってアミノ酸配列を指定されているから、いいかえれば、病原体は特定の遺伝子型を手がかりにしているともいえることになる。従って、もし、あるタンパク質を指定する遺伝子のDNA配列に変化が起きてタンパク質のアミノ酸配列が変わると、その立体構造も微妙に変わってしまい、病原体がそれを認識できなくなるなることもあるだろう。そうであれば、病原体の目標認識に使われるタンパク質について、子孫に自分が持つ遺伝子と異なる遺伝子を持たせられれば、その病原体はその子孫に感染できなくなる。では、子孫に自分と異なる遺伝子を持たせる効率のいい方法はなにか?有性生殖である、というわけである。

 さらにこの仮説には先がある。この場合、宿主に対して選択圧として働くのは、物理的環境ではなく病原体による寄生である。病原体も生物だから、宿主が遺伝子型を変化させたときに、それに感染できるような新たなタイプを生み出せなければ滅びてしまうので、宿主の変化に対応して感染できるような新しいタイプが進化するだろう。しかも、普通、病原体は宿主に比べて世代時間が非常に短い。細菌だと30分に1回程度分裂し、ウィルスではもっと短い時間で分裂するのだ。したがって、宿主の遺伝的変化に対応するような進化が、病原体の側で数万世代かかって進行したとしても、宿主の側からみれば非常に短い世代時間の間に選択圧が変化することになる。

 まだある。この場合、宿主・病原体の双方に複数の遺伝子型が存在し、特定の組み合わせの間でのみ感染が起きる、といった状況になる。一度そうなると、宿主の側にたくさんいる遺伝子型に特化した病原体タイプは、感染可能な宿主個体がたくさんいるため増殖しやすくなるので、宿主の遺伝子型には、常に多数いる方が不利、という負の頻度依存選択がかかることになる。従って、宿主、病原体ともに複数の遺伝子型は集団から消えることはなく、遺伝子型多型が保たれる。第4章で説明した頻度依存性=選択による多型の共存状態が成り立つのである。こうした状況下では、宿主の特定の遺伝子型タイプがふえると、すぐさまそれに対応した病原体による選択圧がかかるので、集団中に存在する遺伝子型変異を迅速に子孫個体中に取り入れられる有性生殖が、無性生殖に対して2倍のコストを克服して有利になる可能性があると考えられる。

 この仮説は「赤の女王仮説」と呼ばれている。この仮説の変な名前は、小説「鏡の国のアリス」の中にでてくる、同じ場所にとどまるためには常に走り続けていなければいけないという、赤の女王が支配する国のエピソードにちなんでつけられている。つまり、病原体による選択圧は非常に短い時間に常に変化し続けているため、それにあわせて走り続けられる有性生殖が広がった、というわけである。

 さきの保険仮説に比べて、この仮説には論理的な信憑性はある。また、現実に見られる宿主と病原体の増殖率や世代時間などを組み込んだコンピュータシミュレーションでも、有性生殖が有利になり無性生殖集団に侵入できることが示されている。実際の生物のデータでは、有性型と無性型の両方がいる淡水性の巻き貝で、寄生者が多い湖ほど有性生殖型の割合が多くなるといったデータが存在する。従って、有望な仮説の一つではあるが、普遍性があるかどうかはもう少しデータが集まるのを待たなければならない。


6・1・3 遺伝子組み換えによる弱有害遺伝子の排除
 前の2つの仮説は時間スケールは違えども、性の存在を、変化する選択圧に対する適応としてとらえることでは共通していた。だが、全く違う観点から性の存在意義を説明する仮説がある。それは、「性の存在は弱有害遺伝子を集団中から排除する効果があるために維持されている」という仮説だ(コンドラショフ、198?)。

この本のX章で説明したように、遺伝子の本体であるDNAの塩基配列には、複製時に突然変異と呼ばれるコピーミスが起こり微妙に配列が変わっていく。このような突然変異はほとんどの場合、個体の適応度に有害な効果をもたらすものであることが知られている。そのうちで個体を死にいたらしめるほどではない有害変異を弱有害突然変異といい、そのような変異を持つ遺伝子を弱有害遺伝子という。無性生殖の集団では、ある個体に生じた弱有害遺伝子はその子孫にすべて引き継がれることになる。弱有害突然変異は繰り返し起こるので、一度生じた弱有害遺伝子は、世代を経るに従ってゲノムの中に蓄積される弱有害遺伝子の総効果が大きくなり、そのゲノムが自然選択によって集団から排除されるまで存続することになる。ところが、有性生殖の本質は他個体と遺伝子を交換することなので、有性生殖集団では、自分のゲノムに存在する弱有害遺伝子の部分を他個体の健全な遺伝子と交換することで、ゲノムの健全性を復活させることができる。逆に、弱有害遺伝子が集中したゲノムを持つ個体は選択により集団から急速に排除される。したがって、有性生殖集団では無性生殖集団よりも弱有害遺伝子を早く排除することができ、個体の平均増殖率が高くなるために有利である、というわけである。

 この仮説で、有性生殖が無性生殖よりも有利になるためには条件が2つある。1つは、集団が、生じる有害変異の速度とそれを除去する自然選択の速度が等しくなっている平衡状態にあること、もう1つは、弱有害遺伝子の出現率が世代当たりゲノム当たり1より大きいことである。ほとんどの野外生物集団では平衡状態は成り立っていると考えられるので、実証研究としては、突然変異率がゲノム当たり1より大きいかどうかがいろいろな生物について調べられている。しかし、結果はばらつきが大きく、あまり信頼性のある結果が得られていない。また、酵母を用いた実験で、平衡状態と考えられる状況では有性生殖集団の平均適応度の方が大きかったのに対し、非平衡状態では差はなかった、という結果が出ており、これはこの仮説を支持する結果と考えられている。いずれにせよ、実証研究の状況は、まだまだ決定的な結論を出すにはほど遠い状態であるが、最近では、この仮説は有力な仮説の一つとみなされるようになってきている。


6・1・4 よい遺伝子を取り込む:適応進化のスピードアップ
 上の仮説と同じで、遺伝子組み替えの効果による遺伝子の集中に論拠をおくが、、上とは逆に「良い」遺伝子が集まる効果を考えるのがこの仮説である。まれに生じる生存に有利な突然変異は、最初はいろいろなゲノムの上にバラバラに存在しているが、有性生殖で遺伝子をシャッフルする事により、一つのゲノム上に集中することがある。その効果により適応進化のスピードを、無性生殖生物よりも速くすることができ、急速に環境に適応できるため2倍のコストを克服できる、と考えるわけだ。良い遺伝子が集中したゲノムは、それを持つ生物の適応度をあげるので、そういうゲノムのコピーはすばやく集団に固定するからだ。現実のデータでこれを証明するのは難しいかもしれないが、無性型、有性型の両方を持つ微生物などを使って検証が試みられている。もちろん、紹介したいくつかの仮説はお互いに相いれないものではないので、今後は、どの要因がどれだけ効いているのか、ということが問題になっていくだろう。いずれにせよ、性の進化は、これからしばらくの間、進化生態学のホットトピックの一つになることは間違いないことである。



6・2 性的二型の進化 -性選択-
 前節では、性そのものが進化した理由について考えてきたが、この節では、性が存在するが故に生じた形質の進化を考えることにする。雌雄異体の生物の中には、オスとメスで生殖器そのもの以外の体の部分の形が全然違っているものがいる。たとえば、シカやカブトムシはオスだけに角があるし、クジャクをはじめとする鳥の多くはオスだけが非常に派手な羽色をしていたりする。オスとメスで形が変わらないイヌのような生物もたくさんいるのだから、このような性的二型は性に本質的に伴う性質ではなく、何らかの理由により進化したものと考えられる。では、そのような形質は自然選択によって進化したのだろうか。

 繰り返しになるが、自然選択による進化とは、1)集団中に遺伝する変異があり、2)変異型の間で残せる子孫数(=適応度)に差があるとき、3)適応度の高いものが選択され集団の中で割合を高めていく、ことによって起こるのであった。では、クジャクの派手な尾羽根やシカの巨大の角などが自然選択によって進化したものかどうか検討してみよう。まず、特殊な形質を持つのはたいていオスの側であるが、長くて派手な尾羽根や巨大な角を持つことは有利なことなのかどうか考えてみる。もっとも強い選択圧の1つである捕食からの回避をかんがえると、長い尾羽根や巨大な角が、逃走のじゃまになることはあっても捕食回避に有利だとはどうも考えにくい。そうだとすると、生存に不利な形質が進化していることになる。それに、捕食回避に役立つのなら、片方の性にしか発現しないのもおかしな話である。つまり、このような形質は普通の自然選択の論理ではうまく説明できないのだ。このような、片方の性にだけ見られる生存に有利とは思えない形質の進化を説明するためにダーウィンが考えたのは、有性生殖生物にのみ存在する、交配相手の獲得をめぐる競争と、その結果としての「性選択」とよばれる自然選択の特殊な様式であった。

 雌雄異体の有性生殖生物では、繁殖して子孫を残すためには必ず交配相手を獲得しなければならない。したがって、同性個体の間には交配相手の獲得をめぐる競争が存在し、この競争に勝ったもののみが子孫を残すことができる。その競争の結果、異性を獲得できるかどうかという片方の性に特異的な、全個体に等しくかかる通常の自然選択とは異なる「性選択」が働き、片方の性にだけ特異的に見られる形質の進化が起こるのだ、とダーウィンは考えたのだった。つまり、性的二型を進化させる根本的な要因は、片方の性における配偶者獲得をめぐる競争にあると考えているわけだ。また、性選択は生存力にかかる選択ではないので、生存に不利な形質が進化することもあり得るとされた。

 ダーウィンによる性選択の提唱後、性選択と自然選択は本当に違うものなのかどうかが議論されたが、今日では、どちらも個体の適応度の高低に基づく選択が行われる点では同じものと考えられている。つまり、性選択は片方の性にしか出現しない形質の進化を説明する原理として、通常の自然選択の特殊なケースとして理解されているわけだ。性選択は大きく分けて、同性内競争によるものと異性間選好性によるものの2つがあるが、これから、それぞれの主だった考え方について見ていくことにしよう。


6・2・1 同性内競争による性的二型の進化
 これは同性の個体間で異性個体をめぐって競争が行われる結果、競争する方の性にだけ特殊な形質が進化する、という考え方である。たとえば、シカのオスは繁殖期になるとメスをめぐって争い、角をぶつけ合って勝敗を決する。また、ハーレムを作るゾウアザラシは、オス同士が体をぶつけ合って勝ったものがハーレムのただ1頭のオスとなり、多数のメスとの交尾権を得る。このような生物では、直接競争に勝利したオスの交尾数が多くなり、適応度が高くなるために、オスのみに競争に勝てるような形質が進化すると考えられる。その結果、シカでは立派な角が、ゾウアザラシでは巨大な体が、オスにだけ見られるようになったというわけである。しかし、先にも述べたように、これらの形質は個体の生存にとっては必ずしも有利とはいえない。そこで、同性内競争に勝つことによる適応度上の有利さと、生存競争上の不利さが釣り合うところで進化は止まると考えられている。このように、性選択と通常の自然選択のバランスで現実の形質値が決まっていると考えるのは、この後に述べる異性間選好性による性特異的な形質の進化でも同様である。


6・2・2 異性間選好性による性的二型の進化
 これは、交配相手の決定に際して、片方の性の個体がもう片方の性の個体を選り好みすることによってペアが成立する場合に、選ばれる方の性の個体間に間接的な競争が起こる結果、選ばれる方の性にだけ、選ばれるための基準になる特殊な形質が進化する、というのが基本的な考え方である。さらに、選好性と形質の進化のメカニズムについて、いくつかの原理に分けて考えられているので、鳥の尾羽根の長さを例にして、それぞれを紹介していく。どの場合でも選ぶのはメスとし、出発点ではオスの尾羽根は短いものとして考える。当然、オスの尾羽根の長さもメスの選好性も遺伝する形質と考える。

・ランナウェイ:選好性と形質の追いかけっこ
 最初に、何らかの理由により、集団中のメスに尾羽根の長いオスを好む性質があったとすると、尾羽根の長いオスは当然有利である。では、この場合、メスにとって尾羽根の長いオスを選ぶ、という形質は有利になるのであろうか。もしそうであれば、選ぶメスと選ばれるオスはともにそうでない個体に対して有利になるため、選好性と選ばれる極端な形質は同時に進化することになる。

 さて、尾羽根の長いオスを選んだメスは尾羽根の長い息子を持つことになる。それらの息子は尾羽根の短い他のオスよりメスによって選ばれやすく、交尾成功率が高いので、たくさんの子どもを残す。従って、最初に尾羽根の長いオスを選んだメスは、そうでないメスに比べてたくさんの孫を持つことができることになり、孫の代で比べた適応度が高くなる。つまり、集団中に尾羽根の長いオスを選ぶメスの形質がある場合、メスにとっても、より尾羽根の長いオスを選ぶことは有利になるのだ。従ってこの場合、オスの尾羽根はどんどん長くなり、あわせてメスの選好性もどんどん高まる、という進化が起こる。このように両性の形質が同時に、相乗的に進化していく過程をランナウェイと呼んでいる。

 ランナウェイが働くときには、オスの尾羽根そのものには、メスにとって、直接の適応的な価値は何もなくてよい。それ自体の価値とは関係なく、はやりものを好む、というメスの性質自体が有利になるので、メスの選好性の進化を追いかけるようにオスの尾羽根も長くなってしまうのである。進化が止まる点は先と同じで、オスの、尾羽根の長さゆえの有利さが、生存競争の不利さと釣り合うところである。そしてその時点でのオスの尾羽根の長さは、オスにとっての生存上の最適値よりはるかに長くなっていると考えられる。

 ランナウェイ過程による性的二型の進化の特徴は、選ばれる形質そのものが、メスの適応度の増加に直接貢献しなくてもよいので、どのような形質でも進化することができる点である。つまり、極端に短い尻尾でもなんでも進化できることになる。またこのモデルでは、メスがオスを選ぶことでの直接の子どもの生産数への影響は全くない、と仮定している点にも注意しておく必要がある。つまり、メスの選好性には、適応度上、何のコストもかかっていない、と考えており、この点において、次に紹介する「セクシーな息子」仮説とは異なっている。

・「セクシーな息子」の死と復活
 では、メスがオスを選ぶことで、自らの子の生産数がいくぶんかでも減る、つまり選ぶことに直接のコストがかかるような場合にはメスの選好性は進化できるだろうか。これを考える上で格好の仮説がある。それは、「セクシーな息子」仮説と呼ばれるもので、鳥などで、多くのメスを惹きつけるような魅力的なオスは子の世話をあまりしない傾向があるが、このようなオスを選ぶメスは、子育ての補助が得られないため直接の産子数は減る一方、生まれる息子は父親の形質を引き継いで魅力的なため、より多くの孫を得られるのでメスの選好性は進化する、という仮説である。この仮説では、オスを選ぶメスでは、直接の適応度である産子数は減る(=選好性にコストがかかっている)が、産まれた子の遺伝的な質が高いため、子を通じた間接的な適応度の上昇がそれを補うため、選好性が進化すると考えている点でランナウェイとは異なっている。

 この仮説を思考実験で検証してみよう。出発点ではオス集団の尾羽根は、平均して短いので、尾羽根の長いオスを選んだメスの、「セクシーな息子」を通しての適応度の間接的な増加は大きいうえに、尾羽根が長くなることによる息子の生存力の低下も顕著ではないので、選ぶことによる間接的な利益が選好性のコストを上回る。従って、進化の初期段階ではオスの尾羽根は長くなり、メスの選好性も進化していく。ところが、オスの尾羽根の長さによる利益と生存力の低下による不利益が釣り合う平衡点まで進化が進んでしまうと、おかしなことになる。

 メスは依然として選好性を持っているので、限界まで長い尾羽根に進化したオス集団の中で、さらに少しでも長い尾羽根のオスと交尾する。しかし、もはやオスの尾羽根の長さは平衡点に達しているため、生まれた長い尾羽根の息子からは間接的な利益が全く得られない。なぜなら、より尾羽根の長い「超セクシーな息子」は、交尾率は高くても生存力が低いため、残せる孫の数は、少し短い平衡点の長さの尾羽根の息子を持つのと変わらなくなるからである。このような状況下では、尾バネの長いオスを選ぶことに直接的なコストがあるため、選ぶことの直接のコストが選ぶことによる間接の利益を上回ってしまい、選ばないメスの方がコストのない分だけ逆に有利になってしまう。従って、メスの選好性がなくなるように進化が進む。最終的には、尾羽根の長さの集団での平均値は出発点と同じになってしまい、メスの選好性は進化しないことになる。この結果は、数理モデルを用いた計算でも正しいことが証明されており、選好性にコストがかかる場合は、メスの選好性もオスの極端な形質も進化できないことが論理的に明らかにされた。そのため、「セクシーな息子」に死が訪れたと思われた。ところが、「セクシーな息子」仮説には蘇生術が施されたのだ。

 前にも述べたように、遺伝子には突然変異が起こり、ほとんどの突然変異は機能的に有害な変異である。ここで、尾羽根の長さを決めている遺伝子に起こる突然変異のほとんどが、尾羽根を短くするような効果を持っていると考えてみよう。そうすると、上の議論で、最初に尾羽根が長くなりきった時の平衡点よりも、もっと短い尾羽根の長さで進化が止まることになる。よく考えていただきたい。尾羽根を長くする方向に働く力は性選択であり、短くする方向に働く力は生存力の低下だったのだから、これに、生存力の低下と無関係に尾羽根を短くする突然変異の効果が加われば、尾羽根の長さは、(性選択=生存力低下+突然変異)となる点で止まることになる。そしてこの長さは、突然変異の効果の分だけ、突然変異を考えないときの平衡点より短くなるわけである。真に重要なことは、この少し短い尾羽根の長さでは、(性選択の効果>生存力低下の効果)の関係になっていることである。この状況下では、尾羽根の長いオスを選ぶメスの、「セクシーな息子」を通しての間接的な利益が消えてしまわない。従って、いったん進化したメスの選好性は消失していかないことになる。いいかえれば、突然変異によって壊れやすいような形質ならば、選ぶことに多少のコストがかかっても進化できることになる。こうして、突然変異の効果を考えることにより、「セクシーな息子」は復活することになった。

・ハンディキャップの原理
 しかし、きれいな羽色や長い尾羽根のような形質は、本当に突然変異によって壊れやすい形質なのだろうか。ショウジョウバエに関する研究からは、ほとんどの突然変異は個体の生存力のような形質にはマイナスの効果を持つことが明らかにされているが、羽の長さのような形質ではその傾向ははっきりしない。では、尾羽根の長さが突然変異によって壊れやすくなかったとしても、メスの選好性が進化できるような条件は考えられないだろうか。その答えは、尾羽根の長さなどのメスに選ばれる形質が、オスの遺伝的な質などの、真にメスが選びたい形質と相関を持っていればよい、という「ハンディキャップの原理」であった。これがなぜハンディキャップなのかといえば、遺伝的に質のよいオスは、質の悪いオスではとても耐えられないようなコストをかけた形質(=立派な尾羽根)を身につけることで、メスに自らの質の良さをアピールするからである。つまり、立派な尾羽根は、大きなハンディキャップを持っていても生きていけるほど自分は質がよいのだ、という宣伝なのである。こういう状況なら、メスが真に選んでいるのは、突然変異で壊れやすい遺伝的な質の良さなので、尾羽根の長さ自身は突然変異で壊れやすくなくてもよいことになる。

 「セクシーな息子」仮説と「ハンディキャップの原理」の違いを考えてみよう。「セクシーな息子」仮説は、よりメスを惹きつけるセクシーな「息子」を通しての間接的な利益が、オスを選んだメスの直接のコストを上回るので進化が起こると考えており、選んだオスおよび息子の遺伝的な質自体は、この進化メカニズムに直接関係はない。つまり、「遺伝的な質の良さ」を表す信号でない形質でも進化できる。一方、ハンディキャップの原理では、選ぶメスのコストは、選んだオスの「質の良さ」に起因する、「息子」だけでない全部の子どもを通しての利益により補われる。従って、第5章の信号の進化のところでも説明したが、「ハンディキャップの原理」によって進化する、自らの質を表すための信号は、質の悪い者がうそをつきやすいものではダメで、作って維持するのに本当にコストがかかるような構造が選ばれていくことになる。この観点からは、尾羽根の長さなどはそのような特質を満たしていると考えられるだろう。また、紹介した仮説は、どれか一つが働けば、他のメカニズムが同時に作用することはあり得ない、という性質のものではないから、現実の生物の性的二型の進化の個別のケースでは、複数のメカニズムが作用していたとしてもまったく不思議はない。


6・2・3 性選択の実証研究と新しい発見
 この節では、今までに紹介してきた性選択の各理論にあてはまると考えられる実証研究の例と、それによって見いだされてきた新たな発見について述べる。しかし、性選択は理論的な整備が進んだのもこの10年ほどのことであり、現在も膨大な数の実証研究が進行中である。従って、ここで紹介するのはほんの一部の研究であり、各仮説の優劣を判定するにはまだまだ例が少なすぎることは断っておく。

・メスの選好性はあるか?
 そもそも、本当にメスがオスを選んでいるのか?という疑問がある。しかし、少なくとも鳥でははっきりした証拠が存在する。アフリカにすむコクホウジャクという鳥は、オスが縄張りをつくり、その中に複数のメスが巣を作る。そしてこの鳥のオスはメスよりはるかに長い尾羽根をもっている。そこで、あらかじめ同じような縄場りを持つ複数のオスが選ばれ、それぞれの縄張り内に営巣するメスの数に差がないようなグループに分けられた。そして、それぞれのグループについて、縄張りの主であるオスの尾羽根を、1)切って短くする、2)切った個体からの尾羽根をつぎ足して長くする、3)1度切ってまたつなげてもとに戻す、4)捕まえた後何もせずまた放す、という4つの処理がなされた。こうしておいて、1カ月後に再び縄張り内に営巣するメスの数をかぞえてみると、1)のグループではメスの数が減り、2)では増え、3)と4)では変わらなかった、という結果になった。このことから、明らかにメスはオスの尾羽根の長さを選んでいることが示されたのである。

・ランナウェイと感覚便乗
 ランナウェイモデルの弱点の1つは、あらかじめ集団内のメスに、ある形質に関する選好性が存在しなければならない、という点である。しかし、このような仮定はあり得ないことではないということが最近の研究からわかってきた。トゥンガラガエルというカエルでは、「ウィーン」という鳴き声の後に「クワッ」という声を続ける種と続けない種がいる。系統学的な解析では、「クワッ」がつかない方の種がより祖先的な種であることがわかっている(図6・3:系統解析と、系統樹を用いた種間比較法については第7章を参照)。ところが、「クワッ」をつけない方の種のメスに、つける方の「クワッ」という音を自種のオスの鳴き声につけ加えた声を聞かせたところ、つけない方のどの種のメスも、人工的に「クワッ」をつけ加えた方の声を選んだのである。本来、それらの種のオスは「クワッ」をつけないのだから、この選好性は、まだ存在しないものに対する潜在的な選り好みを示している。したがって、「クワッ」をつける種の「クワッ」は、あらかじめ存在していた選好性に対するランナウェイプロセスで進化した可能性がある。現在では、「クワッ」をつける方の種では、より低い声を出す体の大きなオスを選ぶこともわかっているが、進化の初期段階では「クワッ」をつける方のオスを選ぶことによるメスの直接のコストはないだろうと考えられるので、「クワッ」の追加そのものはランナウェイによって進化し、その後、低い声に対する選好性が、ハンディキャップの原理により進化したのかもしれない。低い声は大きな体を持つことの信号なので、長い時間生き残ってきた(あるいは短い時間で大きくなった)、「質の良い」オスなんですよ、ということを示すハンディキャップ形質であると考えられる。また、この例は、メスにあらかじめ存在する感覚上の好みに対してオスの形質が進化するので、「感覚便乗モデル」とも呼ばれている。

 同様な現象は、ソードテイルという尾ビレの下側だけが長いグッピーの仲間でも見られ、尾ビレが長くない祖先的な別種のメスにも、長い尾ビレに対する選好性がすでに存在することが示されている。

・羽色の派手さと寄生虫
 極端な形質が、寄生者に対する抵抗力の高さを表しているときには、ハンディキャップモデルが作用すると考えられる。赤の女王仮説のところで説明したように、寄生者はつねにホストの抵抗性に対抗して進化する。そのため、突然変異で壊れやすい形質だけが抵抗力の高さを表すような形質として、メスに選好性のコストがあるときでも進化が可能になる。これを証明するために、鳥の羽色の派手さと寄生虫耐性の関連を調べる研究が行われた。

 鳥では、オスの方が派手な羽色をしているものが多く、性的二型となる。そこで、派手な羽色が寄生虫耐性を表す形質として性選択により進化したならば、より寄生虫の蔓延度が高い種ほどオスが派手だろう、という予測が成り立つ。これを証明するため、北米にいる109種の燕雀類で、羽色の派手さに6段階のスコアをつけ、各種の寄生虫の蔓延度をしらべて相関をとったところ、寄生虫の蔓延度が高い種ほど羽色が派手である、という予想通りの結果が出た。このような調査の仕方は「種間比較法」と呼ばれる方法で、昔から生態学でよく用いられている方法である。ところが、この結果には2つの問題があった。ひとつは、羽根色の派手さのランクづけが、判定者の主観によるものであり、客観性がないという点だ。実際、最初のランクを知らない他の鳥類学者がランクづけをし直したところ、相関が消えてしまう、というまったく異なる結果となった。もう一つは、この研究では、ひとつひとつの種の形質の平均値をデータの1点として相関をとっているのだが、実際には比較する種の間には系統関係が存在するため、測定した形質値が互いに独立に生じたものという保証はない。むしろ、近縁種の間では、形質値が系統の影響を受けていて独立のデータ点とはみなせないことがあるのだ。従って、測定データが互いに独立でないと結果を誤ることがある相関分析を単純に適用することはできないのだ(現在では、系統関係を考慮に入れた種間比較法が開発されているが、これについては第7章で述べる)。研究を行った側も、これらの問題点を認めており、果たして、鳥の羽色の派手さがハンディキャップモデルに基づく性選択の結果なのかどうかはまだわかっていない。

・性比のゆがみと性選択
 ハンディキャップモデルでは、オスの極端な形質は、そのオスの持つ好ましい遺伝的な質の指標である、と仮定されているが、好ましい遺伝的な質とは何なのかを実際の生物で明らかに示した研究例はなかった。しかし、ごく最近の研究で、それを見事に示したものが発表された。シュモクバエという、眼が頭の両側から突き出た柄の先についている、という奇妙なハエがいる。ちょうど、カタツムリが伸ばした眼を180度開いたような形を想像してもらえればいい。普通のシュモクバエでは両眼間隔にオス、メスで差はないが、マレーシアに分布するシュモクバエの中に、オスの方がはるかに両眼間隔が広い、性的二型を持つ種がいる。そして、この性的二型を持つ種では、メスが、より両眼感覚の広いオスを、交配相手として選んでいることが実験によって示されている。従って、この性的二型は性選択によって進化したと考えられる。

 さらに調べたところ、この種では、集団中のオスとメスの比率が1:1になっておらず、メスに偏っていることがわかった。第4章で説明したように、性比は1:1になるのが普通なのだが、このハエでは何らかの要因が性比をずらしているらしい。このハエでは、性染色体にXタイプとYタイプの2タイプがあり、受精の結果、XXを持つ卵はメス、XYを持つ卵はオスになるというXY型性決定という機構で性が決まっている。さらによく調べてみると、X染色体の中に「性比歪み因子」という遺伝子を持つXdというタイプがあり、XdY型のオスはXdを持つ精子しか作れなくなっていることがわかった。これは、X染色体上に、SR因子と呼ばれる特別な遺伝子が存在し、この遺伝子の働きによってSR因子を持つ精子のみが生産されるようになる現象なのだ。従って、XdY型のオスについて考えると、本来ならX精子:Y精子を1:1で生産し、息子と娘を1:1で残すはずのこのオスは、すべての子どもがメスになってしまうことになる。このようなオスが存在するために、本来なら1:1になるはずの集団の性比がメスに偏っているのである。

 このようなことは、こういう性決定機構を持つ生物ではあちこちで起こっていることなのだが、なぜこんなことが起こるかをちょっと考えてみる。「性比歪み因子」自身はX染色体上に存在するため、決してY精子経由では将来の世代につたわらない。従って、「性比ゆがみ因子」にとっては、XdY型のオスがXd精子だけを作るように操作した方が、「性比歪み因子」自身の適応度を高くできることになる。第5章で説明したように、自然選択は最終的には遺伝子にかかるため、他の常染色体上の遺伝子と利害が対立する、このような「利己的な遺伝子」が進化することがあるのだ。

 さて、集団の性比がメスに偏っているため、もし、自分の子どもの性比をオスに片寄せられれば、そのような個体の適応度は高くなるはずだ。実は、このハエでは、Y染色体にもYmというもう1つのタイプがあり、YmはXdと対になったとき、Xdの働きを妨害し、逆にYm精子を多く作り出すような機能を持っていることがわかった。すなわち、Ym染色体上には、SR因子の働きを無効にするような作用を持つ、別の遺伝子が存在するというわけである。この遺伝子も「利己的な遺伝子」なので、Ym精子を多く作り出すような操作をした方が、次世代に自分自身のコピーをより多く残すことができるのでこのような性質が進化したのだろう。この効果により、Ymを持つオスは、交配相手のメスの生む子どもの性比をオスに偏らせることができることになる。であれば、メスは、集団の性比がメスに偏っている状況では、Ymを持つオスを選んだ方が適応度を高くできる。自分の子どもの性比をオスに片寄らせることができるからだ。さらに調べてみると、驚くべきことに、オスの両眼間隔が長いほど、そのオスがYmを持っている確率が高い、ということがわかった。つまり、メスは両眼間隔をYmを持つことの指標にすることで、より好ましい遺伝的性質を持つオスを選べることになる。従って、オスの両眼感覚の長さには性選択がかかることになり、観察される性的二型が進化したと考えられる。このシュモクバエの例は、ある形質が、メスにとって好ましいオスの遺伝的な質の指標となる場合に、その形質が性選択によって極端なものへと進化することを見事に証明したものといえるだろう。

 先にも述べたように、性選択については現在でも膨大な数の実証研究が進行中である。今後数年のうちに、提唱されているモデルの内、どれがどのように作用して、実際の生物に見られる様々な性的二型が進化してきたのか、という疑問に答えがでるかもしれない。

6・3 自然選択による進化は生物の進化をどこまで説明できるか
 ここまで3つの章にわたって、主に現在の動物の行動や性質がどのように進化してきたと考えられているか、ということを紹介してきた。その中で、適応進化の原動力は自然選択による進化、すなわちダーウィニズムであると考えられる、と繰り返し述べてきた。ところが、ちまたにあふれる進化生物学の一般書のなかには、自然選択による生物の進化はない、と断言したり、あるいは生物の多様性の高さにはほとんど貢献していない、と主張するものが非常にたくさんある。おそらく、本書を読まれるような方々は、そのような書物にふれたことがあるか、あるいは今後ふれる可能性が高いと思われるので、そのような諸々の主張ともからめて、自然選択による進化は生物の進化のうちの何を説明していて、どの程度の一般性を持っているのかということについてふれておきたいと思う。というわけで、この節の内容は、章のタイトルである性の進化とは関係がないものになるがお許しいただきたい。

 まず、よく見られる自然選択説に関する反論を列挙してみる  1)野外では自然選択など働いていない。  2)生物に生じる遺伝的変異はランダムではないので自然選択説は間違っている。  3)適応進化を説明する機構は自然選択とは別にある。  4)自然選択が存在するなら、複数の生物が存在するのはおかしい。 などなど、あげればきりがないが、さすがに、「神が創造した」というのはここでは扱わない。しかし、「神の創造説」は、アメリカ合衆国ではかなりの力があり、一部の州では「生物が進化したという[仮説]」と並べて、学校で子どもに教えなければいけない、という法律までできている。それはさておき、これらの反論について、自然選択説の立場からはどのように考えられるか、を考えてみよう。

 くどいようだが、もう一度自然選択による進化の仕組みを確認しておく。自然選択による進化とは、1)集団中に形質に関する変異が存在し、2)変異の間で増殖効率に差があり、3)変異が遺伝するものならば、もっとも増殖効率の高い変異が集団中に広まって行く、という機構だった。まず、このメカニズムは論理的には正しい、ということを確認しよう。つまり、生物であろうがなかろうが、上に上げた3つの条件を満たすものには、必然的に起こる現象なのである。したがって、自然選択による進化が原理的に間違っている、という批判は、それ自体が原理的に間違っている。このことはよく理解していただきたい。

 ならば、実際の生物が自然選択による進化をしていない、ということを示すことでしか、自然選択による進化はうそだ!とはいえないことになる。では、一体何を示せば、現在見られる適応が、自然選択によるものではないと証明できるだろうか。決定的な反証になるのは、新しく生じる遺伝的変異が常に最適なものだけであることを示すことである。もしそうであれば、複数の変異タイプの中から適応度の高いものが選ばれていく、という選択のプロセスなしで適応が起こることになり、自然選択説は崩壊することになる。しかし、反論1)を掲げる人で、このことを証明しようとしている人を私は知らない。

 一方、調べられた多くの例では、遺伝的な変異に選択が働いていることが示唆されている。代表的な例は、紹介したフィンチの嘴やグッピーの尾ビレの模様、古典的なところではオオシモフリエダシャクというガの工業暗化というようなものがある。身近なところでいえば、しばらく前に新聞紙上をにぎわしていたMRSAなどの薬剤耐性菌の跳梁も、自然選択による進化の実例といえよう。ガの工業暗化は高校の生物教科書にものっているくらい有名な例だが、反ダーウィニズムを標榜する人の一部は、原著には遺伝的な変異であるとはっきりかかれているにも関わらず、オオシモフリエダシャクの工業暗化は遺伝的な変異に基づくものではなかった、などという批判を書いたりしている。ともあれ、読者諸兄は本に書かれていることが真実だとうのみにせず、まずは論理的に正しいかどうかを考え、次に事実に基づいているかどうかを判断して欲しい。もちろん、この本についても、である。

 反論2)に関しては、実はこれはダーウィニズムの本質とは関係ない反論なのだ。自然選択による進化は、存在する変異のうちのどのタイプが頻度を増していくのかを、増殖効率の差(=適応度)に基づいて予測するだけのことでしかない。あくまで「存在する変異」が、どのような運命をたどるか、という理論なのである。したがって、なぜ、変異が出現するのか、という疑問には答えられない。にもかかわらず、このような批判が後を絶たないのは、ネオ・ダーウィニズムと呼ばれる、ダーウィニズムをベースとする進化理論では、個体間に変異を生じさせるメカニズムは遺伝子上に起こるランダムな突然変異だけであると限定しており、その他の変異生成機構(たとえば獲得形質の遺伝子上への逆転写など)はいっさい認めていないからだ。それ故、突然変異はランダムには起こらないとか、ショウジョウバエなどの実験では、生じる突然変異のほぼすべてが有害であるからダーウィニズムによる適応進化は事実ではない、というような批判が繰り返される。しかし、自然選択による進化では、変異の生成機構が何であれ、それが遺伝する形質として現れさえすれば自然選択が作用する。従って、生物の発生機構から考えて、現れうる変異体の形質はあらかじめ限られており(これを発生の制約という)、ランダムな変異ではないのでダーウィニズムは誤りである、とするような議論もまた、自然選択による進化の本質をとらえていない。たしかに、変異がなぜ生じるかとか、発生の制約が存在するのか、とかいう問題は、生物学として非常に重要な未解決課題を含んでおり、興味深いものではあるが、現在見られる適応がなぜ進化したかを、そのことのみによって説明することはできないだろう。

 さて、反論3)に関してだが、自然選択による進化が支持されないものとして、酵素タンパク質の多型が遺伝的浮動による中立進化によって説明されている例がある。しかし、このような形質は、自然選択が働くのに必要な3条件のうち、2)変異の間に増殖効率の差がある、という点を満たしていないと思われる。したがって、もともと自然選択による進化は起こらない系なのである。そのような系での進化が、そうした状況でも働く遺伝的浮動によって起こっていてもなんの不思議もない。したがって、中立形質における遺伝的浮動による進化は、自然選択による進化と同じように論理的に正しいことであり、自然選択説と矛盾しない。もっとも、このような当たり前のことが20年ほど前には全く理解されておらず、最初に中立進化説が提唱されたときには、感情的ともいえる激しい批判を浴びたのであるから、学者といえども既成概念から自由になるのは難しいようだ。しかし、論理的に正しかった中立進化説は、自然選択が働かない状況下での進化を説明する理論として、現在では完全に受け入れられている。

 第4章の始めに、自然選択による進化は適応進化を説明できる唯一の理論だ、といったが、それには理由がある。「適応している」とは、生息する環境で効率的に振る舞える形質を持っている、ということだが、ある環境で適応しているものが別の環境でも適応的であるとはいえないことは容易におわかりだろう。たとえば、サカナは水中生活には非常に適応しているが、陸上にあがったら全くお手上げである(手はないけどね)。そしてさらに重要なことは、現在の地球温暖化問題などからわかるように、環境とは常に変動し、一定ではないのである。このような状況下で適応進化を起こす、自然選択以外のメカニズムがあるとすれば、将来の環境を完全に予測する予知能力が必要になる。これはほとんどあり得ないことだと思われる。ともあれ、自然選択は、現在の環境でもっともうまく振る舞えるものを選び出す結果になるので、予知能力なしで適応現象を生み出せる機構である。また、環境が変わった際にはその環境に対する新たな適応を生み出すことにもなる。すくなくとも今現在には、予知能力なしで適応を生み出せるメカニズムは自然選択以外に知られていないのだ。

 最後の反論4)であるが、第4章で説明したように、集団中に複数の変異タイプが共存することも自然選択の考え方と矛盾することなく説明できる。自分の適応度が、行為の相手の振る舞いによって変化する場合(ゲーム理論を適用すべき状況)などは、全く同一の生息条件の中で複数タイプがある頻度で共存するような結果になりやすい。また、いうまでもないことだが、地球上の環境とは、場所によって非常に違っており、同一でない生息条件にそれぞれに適応した多数の生物が共存しているのが現状である。サカナが陸上で生活できないように、すべての環境に完全に適応した生物は現在いない。また、そのような生物が進化する可能性はゼロではないが、生物に生じる、現在知られている遺伝的変異は、そのような広範囲の環境条件をすべてカバーできるほど大きくはない。さらに、現在のように多数の生物が相互に関係を持ちながら生息しているような状況では、自分の適応度は同種内の他個体の行為だけでなく、他種との相互作用の結果として決まってくる場合も多いだろう。このような状況では、ダーウィンが考えたような単純な適者生存ではなく、複数タイプの共存が実現されることも、自然選択のもとで十分に考えられることなのである。従って、反論4)は全くのナンセンスといえるだろう。これほど極端でなくとも、同様の論理による批判もいまだに提出されてくるのが現実なのだ。また、まだ未発見だが、遺伝的浮動のように、自然選択と両立可能な進化メカニズムがもしあれば、そのような原理が実際の進化に働いていてもなんらおかしくない。調べなければならない問題は、そのような複数のメカニズムが、現在の生物を出現させる上で、相対的にどれだけの役割を果たしてきたか、だろう。少なくとも、自然選択説は、現存の生物のあるものの「適応」を非常によく説明できる理論であることは間違いない。

 おそらく、問題は自然選択による進化が本当なのかどうかにあるのではないのだろう。世間の識者がどれほど論理的にUFOが宇宙人の乗り物だという説を否定して見せても、それを信じたいというヒトの願望がある限り、「UFO宇宙人乗り物説」が消えることがないのと同じように、自然選択による適応進化はうそだ!という批判もなくならないかもしれない。であれば、個々の批判に対していちいち答えることは無駄な行為となるかもしれない。しかし、本書はあくまで自然科学の啓蒙書として書かれており、読者を専業の学者でない一般の方々と想定している以上、誰にでも理解できる明確な論理に基づかない主張を認めることはできない、という態度が必要があると判断した次第である。

 あるいは、筆者の態度はかたくなで、自然選択説以外の論理を受け入れようとしていないかのように思われるかもしれない。しかし、自然科学の世界では、誰もが「なっとくする」論理しか受け入れられることはないのだ。逆に、そのような論理であれば、いつかは必ず受け入れられる。その証拠に、はじめは手ひどい批判を受けた中立進化説も今ではごく当たり前のこととして受けとめられている。自然科学の理論体系とは、そのようにして生き残ってきた多くの理論によって構成されており、その姿は時事刻々と変化していくものなのである。まさに、「進化論も進化する」のだ。当然、ダーウィニズムという概念も、当初ダーウィンが著書の中で展開したものとは相当異なる姿に変貌してきている。この本は、最新の知見を含めて、現在の進化生物学の姿を総合的に解説しようと試みたものであるから、読者はそれを十分に理解した上で、反ダーウィニズムを標榜する者たちの言い分をよく吟味していただきたい。筆者自身は、論理的判断から、現在、自然選択以上に適応進化を説明できるメカニズムはない、と考えているだけである。もし、「なっとく」できる他の理論があれば、すぐにも飛びつくかもしれない。そしてそのような理論を何とか見つけたい、とも思っているのだ。実際の進化生物学者の多くは、このようにドライに物を考えているものである。

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