シカゴ会議・イリノイ大学訪問記

 

2005年4月10日朝から17日深夜までのスケジュールで渡米した。行き先はシカゴとその南150マイルに位置するイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校。シカゴでは消化管機能会議への出席、イリノイ大では栄養学分野のOB小池聡くんの仕事場を見るのが目的である。今回はドクターの学生スリヤ君を伴った旅で、彼の研究成果発表をおこなう。小池くんも発表するし、彼の2年間の研究成果を目の当たりにできる機会でもある。またイリノイ大の助教授Isaac Cann氏は三重大時代の教え子だ。彼の自宅へ3泊もさせてくれるのは積もる話もあるからだろう。

 

1日目

千歳から関空へ、さらにユナイテッド航空のシカゴ直行便をへて、同日午後4時にシカゴオヘア空港に舞い降りた。フライトはすこぶる快適で、日本では月末に封切られるShall we dance? が機内のビデオで見ることができた。米国版は日本版に忠実で、しかし米国情緒もかもしだされた秀作であった。リチャード・ギア演じる主人公とその奥さんとのなりわいにはグッとくるものがあった。ヒロインのダンサーを演じるジェニファー・ロペスは文句なく素敵。

 

顔写真と両手人差し指の指紋をスキャンされる入国審査と税関をパス。出口には小池くんと昨年10月から在ニューヨークの高野くん(全農勤務で出向中)が待っていた。異国で知人にあうのはうれしいものである。さっそく小池君の車でホテルへむかう。チェックイン後、食事に出た。彼のおすすめの中華料理店はつぶれていたが、ぼくがビアの看板を目ざとくみつけたほど近いSouth Loop Clubにはいる。ここは大正解。ビアリストには好きなエールビールが沢山ならんでおり、ぼくはBassをえらんだ。高野くんはサッポロを、小池くんは地元のGoose Islandを、スリヤ君はコーラを注文し、乾杯! まさかこの4人で異国はシカゴのパブで栄養学分野同窓会ができようとは!

    

サウス・ループ・クラブ(ビアコレクション豊富)     シカゴ名物スペアリブ(油っこくない)      栄養学同窓会@シカゴ

 

つまみはシカゴ名物のリブを注文。赤身の多いリブが甘めのソースで炙られ、カールカットされたフライ(ポテト)とともにでてきた。これがいけることこの上ない。結局3種類のビアを楽しみ、疲れた身体をベッドに横たえた。しかし老体の身には「時差ボケ」という魔物がこのあとずっととりついたままになるのだが、このときはそれを知る由もなかった。

 

2日目

1時に横になり次に目覚めたのが3時。たった2時間しかたってない。それからいくら努力してもだめという、典型的な時差ボケ。でも努力したかいがあって、7時から9時まで熟睡し、合計4時間の睡眠を手に入れた。最初の夜にすればまあまあ。

  

学会は2日目の夕方からはじまるのできょうは小池君のはからいで、メジャーリーグの観戦となった。シカゴカブスVSサンディエゴパドレス。カブスはシカゴの人気チームで、平日のデーゲームでも軽く3万人は入る。100%カブスファンに囲まれ、ぼくは元近鉄の大塚がいるサンディエゴをひそかに応援する(小学以来の近鉄ファンです)。パドレス1点リードの8回に大塚の出番がきた。先頭にヒットを許す。つぎにバントでおくられ、さらに四球をだす。ワンアウト1, 2塁でカブスの4番、5番を迎えた。最も人気の4番ガルシアパーラを見事セカンドフライ。5番のラミレスにはカウント2-3となる。観客総立ちでエールをラミレスにおくる(ぼくは内緒で大塚におくる)。勝負球は大塚得意のおちるスライダー。空振り三振。観客のため息。ポケットの中で僕はガッツポーズ。

 

大塚の力投                       球状外のビル屋上には特設の客席が・・・

 

シカゴ中心部                      ホテルからシカゴ北部をみる

 

その後パドレスは抑えのエース、ホフマンにつなぎパドレスの勝ち。カブスファンにはフラストレーションのたまる試合だっただろうが、僕には最高の試合だった。こんなアウェイでたったひとりで日本人ががんばってる姿をみると、とても元気がでるものだ。球場でのむビアとホットドックはまたおつなものであった。大塚、ありがとう、元気でたよ。

 

ホテルにもどり、いよいよ学会のはじまり。といってもnight mixingなので、飲み食いしながら再会を楽しんだり、新しい人に会う社交の場だ。タイからきてたMethaと再会。3年前のニューデリーの講演で座長やってもらって以来だ。じつはスリヤ君の大学時代の恩師であったことが判明。スリヤ君は入国以来元気がなかったのだが、少し持ち直すかもしれない。このあと、去年フランスで研究所を案内してもらったEvelyneと旧交を温め、最後にイリノイ大若手のテーブルの輪に入った。小池くんの弟子Holly Oliver嬢は想像以上に可愛く、ちょっとうらやましくなった。ポスドクのサムはすぐに打ち解けられ系。ドクター学生のキム・ジョンナム君も癒し系だった。彼の名の漢字表記を知ろうと努力したのだが、「ナム」が「男」までは聞き出せた。あのお方の長男と同姓同名の確率大(?)

 

部屋に戻って床につく。寝たとおもったら早い朝が来た。時計をみるとなんと1時間しかたってない。おいおい・・・あんまりだろ?時差ボケさん、どうしてご老体をこういじめるのよ・・・予想どおり二度と眠りにつけなかった。隣のベットではスリヤ君がスヤスヤと寝息をたてている。こういうのを見ると濡れタイルを顔にはりつけてやりたくなるのは僕だけだろうか。しょうがないので講演の準備をした。出国前にあわただしくほとんどまともな練習ができてない。「まあなんとかなるだろう」というノリで乗りきれるほど甘くはないのだが。

 

3日目

パンとコーヒーの朝食をとり、9時から学会がはじまった。オランダ・ワーゲニンゲン大のVos教授の基調講演からはじまる。ここはヒトの腸内菌と腸管上皮細胞のコミュニケーションという最先端の未踏領域で精力的に仕事をしているグループである。プレ・プロバイオティクスのヒト介入試験という数億単位の金のかかる仕事もばんばんこなしている。まさに僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる・・・高村光太郎を地で行っている。内容に魅惑される一方で、「自分たちはどこでどうやって生き残るか」を考えさせられる講演であった。

 

二人目はEvelyneによるルーメンの繊維分解菌Fibrobacterの産物について。なんと「セルロース分解産物のセロデキストリンは培養物には検出されず、おそらく迅速に自分で消費するのだろう」という結論。ヤバイ。これは僕の講演の結語とは正反対だ。

 

すぐに三人目の自分の番がきた。言い訳するわけではないが、時差ボケの睡眠不足もあり、15分の講演は極めて不本意なものであった(しっかり言い訳してる)。いつもはしゃべりだすとそのうち乗ってくるのだが、今回は最後まで波に乗れなかった。5つも質問がでた。ひとつを除きそこそこ対応した。駄目だったひとつが「Selenomonasのコハク酸消費によるFibrobacterの賦活化と、セロデキストリン消費による賦活化とどっちが重要か」というつっこみであった。一人前の講演で後者の存在を否定することが述べられていたので、「そこは明確でないので証拠を取る必要あり」で軽く対応するのでよかったのだが、うろうろと内容の無い答えをしてしまった。

 

三人目はEvelyne門下のPascaleがFibrobacterの繊維分解酵素遺伝子の発現について発表した。D2の真貝クンの案がすでにやられてしまっていた。真貝よ、プラン練り直しだぜ、これは。夕方まで計11人の講演がこの日おこなわれた。午後はポスター発表(32題)もあった。内容的には多くのものが高レベルであったが、我々の日韓ジョイントルーメンシンポ(97年から隔年開催、若手の英語口頭発表修行の場)の演題のいくつかは引けをとらないことを再認識した。

 

昼食はサンドイッチ屋へいった。欧米のファーストフードはどこもそうだが、サンドイッチも多岐に富み、何をはさむか、カラシをどうするか・・などいろいろ注文機会が多い。英語がわからずフリーズする日本人も多いそうだ。ボリュームたっぷりのサンドとスープであった。夜は「明日の講演に備えて練習します」という小池くんをホテルに残し、出席者の多くがギリシャ人街のレストランへいった。くせのあるチーズなどで個人的には満足できるものではなかったが、Methaと同じテーブルだったことが幸運だった。彼のエンターティナーぶりには救われた。とにかくジョークの宝庫であり、この晩だけで、5−6種類のネタを仕入れることができた(これを英語でやり笑わせる器量は未だないが)。とにかく我々のテーブルだけ大爆笑で。店内で、はっきり言って浮いてました・・・

 

ホテルにもどってから高野くんの部屋にお邪魔した。もちろんビールもって。彼はニューヨーク州でもカナダ国境に近い片田舎にあるWilliam Miner研究所に10月から出向中で、現地でアメリカ酪農の技術と研究双方の動向を吸収中である。全農は毎年若手有望株をここに派遣して研鑽を積ませ、帰国後の業務活性化をはかっている。今回彼の英語力が飛躍的に上がっているのがうれしかった。彼のもつ社交性と積極性がなせる業である。むしろアメリカンになりすぎで、半そで、半ズボン、プチポットベリーでビールをもつ彼に「えーかげんにせい」と言いたくもなった。あと半年あるそうだが、もう彼は安心だ。

 

4日目

まだボケているのかこの日も3−4時間しか眠れず。

今日は会議最終日であり、小池くんの講演の日(午後)でもある。「何年ぶりかで昼飯食えそうにないっす」と彼はいうので、また彼を残しメキシコ料理のファーストフードへいった。Fajitasを頼んだがともかく美味。個人的に大ヒット!

 

小池くんの番がせまってきた。自分のように緊張する。それにしてもラス前まで待たされるとはね。スライドも話の構成もよくできており、はじめて聞く人も入りやすい工夫が施されていた。このへんは学生時代からできていたが、いっそう磨きがかかった。そして質疑に入った。4−5個の質問がきた。ほとんどしっかり答えていた。最後のほうで後列から質問がきて聞き取りにくい。あとで冷静になれば取るに足らない単語Rainfallが聞き取りにくかったようだ。本人曰く、大汗のもと質疑終了。イリノイグループの席へ戻ると、(━━━━━(゚)━━━━ !!・・・って感じで)Hollyが手を叩きながらとびあがって小池くんを迎えていたそれを見て胸が熱くなった。苦労したであろうこの2年あまりでしっかりした人間関係を築いている。

 

「不出来でした」と師匠と同じセリフを吐きに来たが、「なんのなんの、君のパッションは十分伝わったよ。好感のもてる講演だったよ」と感想を言った。彼の研究は動物用抗生物質テトラサイクリンの耐性遺伝子の伝播をモニターするものだ。養豚場のし尿貯留層のそれと、近隣の地下水のそれを比較し、Tet(W)遺伝子の配列がほぼ一致したことから、現場での著量使用は耐性菌を生み出し、それは地下水などを通して周囲に伝わり、人間や野性生物の生活環境にも悪影響をおよぶすおそれ(治療薬剤への多重耐性菌の出現など)を指摘するものだ。彼が帰国後このような研究が継続できれば間違いなく金がとれる研究だ(・・・などと下世話な妄想をしてしまう)。

 

小池博士の講演                     小池博士とその愛弟子Holly Oliver嬢

 

South Loop Clubで発表終了の乾杯をしたのち、最後のSocial eventに参加する。シカゴでは有名というBuddy’s Caféというライブハウスで行われたのだが、クラプトンのギターやサインが飾ってあった。この日のうちにシャンペーンまでいくことになっていたので、せっかく話ができた南アフリカのグループと別れ、小池くんの車でシカゴをたつ。車内では高野くんがもってきたiPodで日本の曲を流すことになった。「さくら(独唱)」は知っていたが「さくら(合唱)」なんて知らなかったので、それをリクエストする。シカゴの街に森山直太郎がこだました。いい夜であった。

 

ハイウェイをとばすこと2時間半でシャンペーンに到着。Isaacの自宅は3ベッドルームの新しい大邸宅で、軽食、シャワーをすませ、早く休んだ。でもやはり3時間ほどで目が覚めた。ご老公はまだボケてます。

 

5日目

バナナの朝食もそこそこにいよいよイリノイ大へ。畜産学科は新しい4階建ての建物で、玄関には家畜のレリーフが飾られている。ラボに行き、ひととおり説明してもらった。Isaac家には僕の他にノルウェーはトロムソ大のMonicaとChristineが世話になっていたので、彼女たちと午前中は一緒にまわった。彼らは野性トナカイのルーメン細菌をやっている。80年代にいい論文がでているがすべて培養分離のデータなので、これからイリノイ大と手を組み分子的手法で解析をやるのだろう。D2の山野もエゾシカで同じようなことをやっているが、食餌環境の厳しさではトナカイにはかなわない。山野、いそがんといかんね。

 

昼食をIsaacのおごりでMurphy’s Pubで食う。ここのチキンバーガーは絶品。帰りにアメリカではじめての由緒ある「試験圃場」をみる。アメリカの農学の全てはここからはじまったそうな。あまり期待してなかったが、建物、緑地、記念碑(像)、街並み、いずれもクリーンでうまく配置されており、リスやウサギも遊び、これで地形に起伏があれば東部のアイビーリーガーにも負けない環境の良さだ。レストランもバラエティに富み世界各国の料理が楽しめる。なにしろ治安がよさそうだ。途中クラーク会館的存在の学生厚生施設のよこを通ったが、クラ館とは比ぶるべくもなく、こっちの勝ち。

 

その夜は同じ畜産学科の栄養学の権威Rex Gaskins教授のラボに院生として在籍している中村さんを交え5名で食事にいった。場所はランチをとったMurphy’s Pub。ここの夜の賑わいはすごい。客は全部イリノイ大の学生だ。エールビールもカリッと揚がったフライも最高だ。この店をこのままそっくり札幌にもって帰りたい!という衝動にかられる。一流企業を退職してイリノイ大での研究に勝負の場を求めた中村さん。僕は彼女の成功を祈らずにはおれなかった。

 

  

米農学発祥の試験圃                   クラーク会館に値する学生厚生施設

 

 

トルネードの時はこの誘導サインに従う      中村さん(右から二人目)頑張って下さい

 

Isaac邸にもどるとノルウェー嬢たちは寝るところだった。「先生、明日はワインのみましょう」と前日に言われてたのだが、けっこうPubで飲んだし、もう寝たいなと思っていた。で、彼に「そのワインは明日においとこう」と言うと、「明日は明日で別ですから」ときた。よく考えたらまだ彼とちゃんと話をしてない。それを断って寝るのは非常に失礼なことだ。「Isaac、うまそうなワインやな。ちょっと飲ませて」となり、彼は破顔一笑。あとは三重大時代の共通の知人の消息、彼の奥さん(JALのスッチーときいていたが、それはガセネタで地上勤務だった)が今帰国中ということ、イリノイでの研究予算獲得のこと、・・・気がついたら午前2時でとっくにワインは空になっていた。彼は日本語はペラペラだが、僕としゃべるときは英語である。これは大昔に僕に強制された名残りである。

 

ぼくが英会話を本格的にはじめたのは30歳をすぎてからだが、直後に彼が三重大へきた。ガーナ人も人により訛りがあるが、彼には英国人の家庭教師やテニスコーチがついていたのできれいな英語をしゃべる。これを利用しない手はないと、僕と話すときはすべて英語を強要していた。彼は頭脳明晰、社交家でもあったので、メキメキと実績をつみ、博士号取得時には論文を5報出していた。イリノイ大と大阪の生物工学研でポスドク、ニューイングラントラボ(ボストン)に奉職し、最終的にイリノイ大の助教授としてここに戻ってきた。三重を去って以後、数々の一流誌に論文を出し、とくにPNAS(米科学アカデミー紀要)に出した研究成果は秀逸である。以来一貫して古細菌のDNA複製に関する課題に取り組んでいる。

 

院生時代にうちの息子たちは彼によくなついていた。新築直後の自宅に泊まりに来たときなどは、彼がシャワーを浴びているときにのぞきにいったりしたのが次男だ。今回「家族の写真をもってきて下さい」と頼まれていたので、数枚謹呈した。長男が181cmでぼくを追い越し、次男も続きそうな雰囲気に驚いていた。僕たちも彼からガーナの裏表を学んだ。ガーナ人は野口英世を崇拝していること、国内には未知の薬理効果のある植物があり、いくつかはドラッグとして不良少年たちの嗜好品となっていること・・・などなど。語りつくせないほどの思い出があり、一夜では十分ではなかった。彼が自宅に招待してくれたこと、とびきりのワインを用意してくれていたことにあらためて感謝し、寝室にむかった。

 

6日目

寝るのがおそかったわりに目覚めはやはり早く、また3−4時間の睡眠だ。朝のシャワーをあび、大学へむかう。午前はセミナーが予定されている。仏農業研のJoel Doreと英国ロウエット研のJohn Wallaceがそれぞれ腸内菌の生態・機能解析、不飽和脂肪酸の水素添加ついて話題提供。JoelからはきれいなFISH像、JohnからはC18:1→C18:0転換をおこなう新規のルーメン菌の紹介があった。このあと豪、ノルウェー、日本のゲスト代表から5−10分ずつ各々の研究紹介をやった。僕は北大創成研の難培養性ルーメン菌の取り組みについて話したが、けっこう食いつきが良かった。ゲルドロップやフローサイトメトリーなどには興味があるらしく、Mackie教授の数年前の難培養性Oscillospiraの仕事に話を振るとうれしそうにしていた。

 

昼食は教授のおごりでサンドイッチ屋へ。ここはファーストフードではなくしっかりしたレストランでデリ、ワインなどのコレクションも豊富。全員で20人ほどが参加。出費もはんぱじゃないな・・・とMackie教授にちょっぴり同情。午後は自由行動となり、僕は小池くんたちと大学のギフトショップとCaféへ。イリノイ大は今年のNCAAバスケで準優勝したらしくバスケ関連のギフトが充実していた。北大も日本屈指の観光キャンパスなんだからこれぐらいの品そろえしてもいいな。7時から教授宅のさよならパーティに呼ばれているのでそれまでHootersでビアを楽しむ。ここは小池くんのHPでも紹介されている名所。きわどい衣装のアメリカンレディがウェイトレスをやっていて目の保養ができる。予想よりはるかに健康的で家族連れがきてたりで、なんか拍子抜け。

 

小池くんに教授宅までおくってもらい、パーティに合流。教授は自らクッキング中で、今日は南部名物のジャンバラヤを振舞ってくれるようだ。裏庭の一団に加わる。奥様に日本からもってきたハスカップティをプレゼント。Joelに真貝が開発したルーメン植物片上のFISH法について話すとずいぶん食いついてきた。彼は今は大腸の仕事が主なので内容物の自家蛍光は問題にならないがルーメンでのそれを抑える術には興味をもったらしい。室内に移動しいよいよディナーだ。教授はワイン愛好家らしく地下のワインセラーには沢山の上物が眠っていた。そのうちの数本を開栓してくれた。バックミュージックはアフリカ音楽。適度にスパイシーなジャンバラヤがたいそうおいしく、夜は更けていった。

 

午前1時に教授宅を辞し、Isaacの運転で帰る。途中にWall Martにより、僕の家族に土産を買ってくれた。24時間あいてる巨大スーパーで5段変速の自転車が70ドルくらいで手に入る。帰宅したのが2時。6時に小池くんが迎えにくるので5時におきシャワーと荷つくり。睡眠時間はわずかだ。この滞在中の平均睡眠時間は3−4時間だ。最後まで時差ボケのまま終わってしまった。

  

Mackie教授宅のワインセラー            さよならディナー                     別れの朝

 

7日目

アイザックも早起きし見送ってくれた。一路シカゴへ。ちょうど朝日が地平線からのぼるところだった。「川浜高校のジャージですね」と小池くん。「そうそうライジングサンや」。実は今回彼への土産をヨドバシに買いにいき、迷ったすえ、「スクール・ウォーズ最終回」のDVDにしたのだ。けっこう喜んでくれたようだ。滝沢先生ばりのパッションで残りのイリノイ研究ライフを送ってほしいものだ。来るときは夜でわからなかったが、イリノイはきわめて平坦だった。景色は2時間ほど変わらない。8時すぎにオヘア空港に到着。チェックイン後、コーヒー飲みながらとりとめのない会話をする。外国で研究するには基本的に日本で必要な能力+英会話力が要る。前者にはいわずもがなのことだが、信頼するに値する人間性が多くを占める。社交性も極めて大事でこれが後者の上達を助長する。でも後者だけ備えていて前者に問題のあるケースもたまに見る。こっちのほうは根本的にやっかいだ。オヘアで別れた栄養OB二人は間違いなく問題ないね・・などど思いながら機上の人となった。