「牛のげっぷ低減プロジェクト」

わかりやすい(けどちょっと長い)牛からメタンを減らす話

 

08325日の新聞やTVニュースで、私たちと出光興産との共同プロジェクトがとりあげられました。以降、数々の問い合わせをいただいています(ありがとうございます)。手間を省くため、ラボのホームページに解説をのせることにしました。お問い合わせの前に、まずこれをよんでください。

→主な新聞報道(朝日新聞北海道新聞)とプレスリリースです(プレスリリースの牛の胃の位置説明がまちがっていますがご勘弁を)。

 

← 山手線トレインチャンネルで紹介されました(20086)

 

<プロジェクトの背景>

肥育牛のえさは、これまで成長促進目的で抗生物質が添加されたものが主体でした。この抗生物質(モネンシンという名前)は、牛の第一胃(私たちの業界用語で“ルーメン”と言います)に共生する微生物に選択的に働いてえさの分解発酵のエネルギー効率が高まる方向に微生物相を変えます(注1)。その結果、少ないえさで早く肥育できるようになります。さらに牛の病気(乳酸アシドーシスや鼓張症といい、肥育期におこりがちなルーメン発酵異常による乳酸過多やガス排出異常)の誘引菌をやっつけるので、これらの予防も期待できます。

 

畜産分野で古くから続いてきた抗生物質の乱用は、それをとりまく環境下で抗生物質耐性菌を生み出し、人間の医療にも悪影響をもたらす可能性が指摘されるようになりました。そのため抗生物質をこのまま使い続けていくかどうか、世界的に見直しされつつあります。EUでは2006年から成長促進目的の抗生物質の使用は撤廃になりました。日本でも、食の安全・安心の意識の高まりもあり、同様な論議がおこりましたが、食品安全委員会からの答申によると、「リスクは無視できる程度」となっています(20069)。その一方で、より安心な天然物質への期待は根強く、欧州を中心に多くの研究者がまさに血まなこで、有用な物質を探し続けています。

 

抗生物質を使わなくなったらどうなるのでしょう?農家はこれまでよりも多くのえさを必要とするでしょう。牛肉の値段は上がるでしょう。牛の病気発生率も少しあがるでしょう。結果的に肥育期間は長くなるので、それだけ牛のげっぷ(メタンが主成分)は多く放出されます。ご存知のようにメタンは地球温暖化の要因でもあるので、私たちにも被害がおよびます(注2)。日本は牛の数が少ない(440万頭)ので、牛が出すメタンは総温暖化ガス(CO2換算)の0.5%程度ですが、ニュージーランドのような畜産立国では3040%にもなります。安全な天然抗菌物質で、病気を予防でき肥育が促進されれば、農家も消費者もうれしいはずです。さらにメタンも減らすことができれば、こんなに喜ばしいことはありません。この一石二鳥をもくろんだのが今回のプロジェクトです。

 

(注1)牛が食べたえさはルーメン微生物によって低級脂肪酸に転換され、それを牛が主なエネルギー源として吸収しています。低級脂肪酸の中でもえさのエネルギー転換効率の最も高いプロピオン酸という低級脂肪酸を沢山つくるような微生物相であることが肥育促進の鍵です。またルーメンでは微生物発酵の産物としてメタンガスができます。メタンは「げっぷ」で外にでていくので、えさエネルギーの損失です。したがってメタンは減らしたほうがえさの有効利用につながります。

 

(注2)メタンを出す牛が悪者のように聞こえますが、一番の悪者は人間です。爆発的に増加し、節制なく資源を消費する一方で、自ら食するために増やしてきた牛でさえもコントロールしようとしています。実に、牛や羊といったメタンを出す反芻家畜は世界に30億頭にまで増えています(人間の数の半分です)。温暖化緩和は人間のためというより、地球上の全生命のために真剣に考えるべき問題です。

 

学会発表で使用したスライドの一部

 

<これまでの研究成果>

今回、出光興産との共同研究で、抗生物質に替わりうる2つの天然物質をみつけました。これらは各々が同程度の効果をもつもので、併用するものではありません。今後の実用化を見すえ、どちらがより普及しやすいかを判断する予定です。以下、2つのうちのひとつである「カシューナッツ殻液」を例に説明します。

 

「カシューナッツ殻液」

私たちが食べるカシューナッツは、カシューの木にみのった果実の先端にぶら下がった種子です。ナッツ収穫の副産物として大量の「カシューナッツ殻」がのこります(写真参照)。殻にふくまれる液体は、実は塗料材料として大量に日本に輸入されています。カシューは漆(ウルシ)科の植物ですので、殻液は日本古来の漆塗りの漆に近いと考えてください。家具に塗るとカビない、虫に食われない、というのは漆の効果のおかげでもあります(ちょっと脱線)。

    

カシューナットの木(10m程度)    この殻の中に・・・ →      おなじみのナッツが   カシューナッツ殻(テカッてる!)  → カシューナッツ殻液

 

カシューナッツ殻液の作用は、全ての細菌に効果があるわけではなく、きわめて特異的です(特定のものだけを抑えます)。グラム陽性菌といわれるグループの菌を抑えます(この時点でえさにつかえないかと考えた出光興産の方々も先見の明があったのです)。牛のルーメンの中で病気(上述)を引き起こすといわれる菌はこのグループです。・・・ということは、殻液を牛に食わしたら効果があるのでは?と思ったわけです。これが、「カシューナッツ殻液を牛のえさに混ぜて・・・」という発想に結びつきました。

  

初期研究にかかわった当ラボの学生・教員たち(プロジェクト1年目のメンバー)

 

第一段階の実験

それでも、いきなり牛に殻液を食わせたわけではありません。すぐに本番レースにでるのではなくウォーミングアップがあるように、研究にも踏むべきステップがあります。まず試験管の中で牛の胃液にあたるルーメン液を殻液とともに培養しました。輸入・流通している加熱殻液と、加熱していない生液を、数段階の異なる量で試験管に添加しました。培養後のルーメン液は、粘りも泡も少なくなりました。これは病気(上述)予防のサインです。また発酵産物を調べたら、おどろくなかれ、メタンが劇的に減っていたのです(最大98%減)。その一方で、低級脂肪酸のうちプロピオン酸だけが増加していました。まさにいいことずくめでした。ただし加熱殻液はその効果が小さいことがわかったので、以後は「生殻液で行こう」となりました。

 

第二段階の実験

動物に食わせる前にもうひとつステップを踏みました。臆病なわけではありません。研究とは「詰め将棋」のようなものです。一手一手を確かめながら着実にゴールに進みます。次にやったのは、牛の胃を模倣した人工ルーメンという連続培養装置に殻液を給与し、反応をみることでした。実物の胃と違うのはえさの分解発酵物を絶対定量できることです(本物の胃では常時産物の排出や吸収が行われており効果の定量評価が難しい)。これできちんとデータをとると、メタンはやはり最大で90%程度抑えられ、プロピオン酸の増加が明瞭でした。消化率も下がるどころかむしろ上がるくらいでした。菌叢も殻液給与で明瞭に変化しました。

 

第三段階の実験

いよいよ動物への給与実験です。牛のモデル動物として羊を使いました。何せ初めてのものを動物に食わせるのでドキドキでもあります 。だが似たようなものはすでに人間が食べていました(注3)。殻液は少量のアルコールに分散し、それをえさに混ぜ一晩放置しアルコールをとばしたものを与えました。前段階の人工ルーメンで効果のあった添加濃度で試しました。すぐに分析しましたが、おもったほど変化がでませんでした。量を倍に増やしました。すると見事にハマリました。メタンの減少、プロピオン酸の増加が顕著におこったのです。実際の羊の胃の中で。羊は4週間の間、まったく食欲もおちず、カシューナッツ殻液の絶大な効果は維持されました。人工ルーメンでみられた菌叢の変化も実際の羊のルーメン内でも明瞭におこっており、メタン生成の材料となるギ酸や水素を作る菌が少なく、プロピオン酸の生成にかかわる菌が多くなりました。

 

(注3)殻液の主成分はアナカルド酸というフェノール成分で、カシューナッツやカシュー果実にも含まれます。どちらも人間に食経験があるので、安全性は高く、さほど心配はしていませんでした。アナカルド酸は、一般的にグラム陽性菌を抑えますが、ルーメンではメタン生成の材料となるギ酸や水素を作る菌(グラム陽性菌)を抑えることを私たちが確認しました。その結果、これらと競合関係にあったプロピオン酸生成関連菌が相対的にふえたわけです。

 

第四段階の実験

牛での給与実験は2009年から始まりました。現在、国の特別研究予算枠(農水実用技術開発事業)でプロジェクト推進中です。09年は3頭の牛で平均38%、最大55%のメタン低減を世界最高の施設(つくば市畜産草地研究所)で精密定量できました。ただし消化率が数%落ちたので、今年(2010年)再試験をやっています。このプロジェクトは今年で終了しますが、新たに始まった別の2つのプロジェクト(温暖化プロ緩和策、国際研究ネットワーク事業)に引き継がれ、日本ばかりでなく海外の現場でもつかえるような技術として昇華されることを期待します。最終的には、世界初のメタン低減技術が、97年の京都議定書を生んだ国、08年の環境サミットホスト国である日本から発信できることを願っています。

 

結果ばかりでなく、なぜそうなるのかの学術的基盤を整備する必要があります。メタンが減るしくみはひとつの作用でなく、いくつかの要因が複合的にからんだものです。メタン菌も一部抑えられ稀少な種に置き換わること、一方でメタンの基質となるギ酸や水素をつくる細菌が抑えられること、を明らかにできました。技術とは科学に裏づけされていなくてはいけません。この意味において私たちの研究室はもっとも重要な役割を担っているのかもしれません。重責ですが、やりがいもあるわけです。少なくとも2015年くらいまでかけて、このメタン低減研究を深化させていく予定です。

 

    

プロジェクト2年目のメンバー              3年目のメンバー                  野外肥育試験でカシュー効果を検証しているところ